個性が強いフランスの高級車 19選 「独自路線」の成功と失敗

公開 : 2025.06.21 18:25

ルノー30(1975年)

1970年代初頭、宿敵同士であるルノーとプジョー、そしてボルボは、V8エンジンを開発するという予想外の提携を結んだ。1973年、第一次石油危機の後、この3社(PRV)は賢明にも、8気筒エンジン搭載車の導入は財政破綻につながるという判断を下し、2気筒を減らしてV6エンジンに切り替えた。

ルノー30は1975年のデビュー時に、PRVエンジンを導入した。当時の試乗記では過度な燃費の悪さが批判されたが、ハンドリングと快適性は評価された。外観では、4気筒エンジンを搭載した20と異なり、2灯の長方形ヘッドライトではなく4灯の丸型ヘッドライトが特徴的だった。しかし、ルノー30の販売は期待したほど伸びず、その原因の一部はデザインにあると指摘された。1982年にターボディーゼルエンジンを導入したが、翌年に生産終了となった。

ルノー30(1975年)
ルノー30(1975年)

プジョー604(1975年)

プジョーは1935年の601の生産終了以来、高級セダンから離れていたが、『604』の発売により復帰した。ルノー30とV6エンジンを共有しており、両社は暗黙の了解で互いのテリトリーを侵さないようにしていたと内部関係者は語る。ガストン・ジュシェ氏はルノー30に大型ハッチを備えた2ボックスシルエットを採用。ピニンファリーナは604に角張った3ボックスボディを与え、メルセデス・ベンツからの乗り換えを狙った。

604は、何よりも快適性を重視していた。オプションとして、エアコン、オートマチック・トランスミッション、レザーシートなども用意された。しかし、604の販売は低迷し、1985年11月に生産中止となったが、ディーラーでは1987年7月まで新車在庫を売り切ることができなかった。

プジョー604(1975年)
プジョー604(1975年)

タルボ・タゴーラ(1980年)

1976年、クライスラーは傘下のルーツ社に欧州市場向けの上位セダンの開発を命じた。設計要件は伝統的な3ボックスデザインで、直列6気筒エンジンを収めるのに十分なエンジンルームを備えることだった。社内では『C9』というコードネームで呼ばれ、開発がすすめられたが、量産化の直前にクライスラーが破綻の兆候を示し始めた。そのため、同社は欧州事業の売却を決断する。

フランス政府はシムカと数千人の雇用を守るため、プジョーに買収を迫った。プジョーは1978年に買収を完了。これはシトロエンを同様の条件で不本意ながら吸収してから2年後のことだった。プジョーはすぐにタルボ(またはタルボット)の名称を復活させ、シムカに代わるブランドとした。しかし、幹部たちは604と競合する可能性を懸念し、開発途中のC9をどう処理するか決めあぐねていた。とはいえ、プロジェクトは完成間近だったため、『タゴーラ』として量産化を決定。エンジニアたちはスケールメリットを享受するため、505のドライブトレインを採用した。

タルボ・タゴーラ(1980年)
タルボ・タゴーラ(1980年)

プジョーのディーラーはタルボのモデルを販売する意欲がほとんどなく、消費者もタルボが何なのかよく知らなかった。タゴーラの年間生産台数は1982年に2624台まで落ち込み、1983年に生産が中止された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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