オレゴンの風に吹かれるクライスラーの廃車 40選(後編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.07.27 19:25

米国の巨大ジャンクヤードを巡り、スクラップ同然のクルマにレンズを向ける探訪記シリーズ。今回はクライスラー、ダッジ、プリムスに特化したオレゴン州のヤードから、珍しいレストア向け車両や部品取り車を紹介します。

デソート・ファイアライト – 1957年

このジャンクヤードの特定のエリアを歩くと、50年前にタイムスリップしたような感覚に陥る。1970年代には、このような光景はジャンクヤードでは珍しくなかったが、今ではまず見られない。1957年のデソート・ファイアフライトが、1957年のクライスラー・ウィンザーの屋根の上に載っている。

デソート・ファイアライト - 1957年
デソート・ファイアライト – 1957年

プリムス・バラクーダ – 1964年

プリムスの2ドア・ファストバック、バラクーダは、マスタングより2週間早い1964年にデビューした。しかし、フォードのライバル車に完全に注目を奪われ、販売台数でも大きく差をつけられた。バラクーダは発売初年度に2万3443台を販売したが、同期間のマスタングの販売台数は12万6538台だった。プリムスというブランド自体に、フォードのような若々しいイメージがなかったことも不利に働いた。

この写真のプロジェクトカーの価格は不明だが、同じような状態の他のクルマは3000ドル(約45万円)前後で売られていた。

プリムス・バラクーダ - 1964年
プリムス・バラクーダ – 1964年

ダッジ・ポラーラ – 1968年

ダッジ・ポラーラは、北極星「ポラリス」にちなんで名付けられ、フォード・ギャラクシーと同様、宇宙探査に対する大衆の熱狂的な人気に便乗して発売された。当初はダッジの最高級車という位置づけだったが、すぐに若干のグレードダウンが行われた。

この印象的なリアエンドは、1968年モデルの特徴で、この年7万100台が生産された。

ダッジ・ポラーラ - 1968年
ダッジ・ポラーラ – 1968年

デソート・デラックス – 1948年

この1948年式デソートの4ドア・セダンは、屋根に巨大なへこみがある。これは長年、別のクルマの重量を支えてきたためで、その重量が約4000ポンド(1818kg)あったことを考えれば、驚くには値しないだろう。

新車当時は、ウィンドワード、オリノコ、フォレスト、ジプシーの4種類の緑色を含む16種類のカラーバリエーションが用意されていた。リアフェンダーに残っている塗装の跡から判断すると、この個体はジプシーだったようだ。10万台近くが生産され、ワイルドキャット・オート・レッキングには数台の在庫がある。

デソート・デラックス - 1948年
デソート・デラックス – 1948年

プリムス – 1950年

1950年製のこのプリムスからは、塗装はすっかり色あせてしまったが、クロームメッキのバンパーはオレゴン州の太陽の光でまだ輝きを保っている。とはいえ、オーバーライダーの1つがあまり良い状態ではないのは不思議である。

1932年から1954年まで、プリムスは米国で第3位の販売台数を誇った。1位を争っていたのはシボレーとフォードだ。1970年代半ばにはデソートの順位は中盤まで落ち込み、その20年後にはクライスラーだけがプリムスの下位にあった。しかし、2000年代に入ると、プリムスは国内ブランドの中で最も販売台数の少ないブランドとなり、販売台数はわずか5万4543台にとどまった。翌年、プリムスは生産を中止し、73年にわたる自動車生産の歴史に幕を閉じた。

プリムス - 1950年
プリムス – 1950年

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事