マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(前編) スターの陰に隠れてしまった不運なクルマ
公開 : 2025.11.30 11:25
1980年代には、今も高く評価されている名車が数多く生まれました。しかし、その影で忘れ去られつつあるクルマも少なくありません。今回はもっと多くの人に知ってほしい80年代の隠れた名車・迷車を紹介します。
もくじ
ー記憶から消えたマニアックなモデル
ースバル・ブラット(1977年)
ープリムス・サッポロ(1978年)
ーマイダス・ブロンズ(1978年)
ーアルファ・ロメオ・アルファ6(1979年)
ービュイック・センチュリー・ターボクーペ(1979年)
ースティーブンス・サイファー(1980年)
ーシボレー・シテーションX-11(1980年)
ーダッジ・ミラーダ(1980年)
ーAMCイーグル・カムバック(1981年)
ージープCJ-8(1981年)
ーフォードEXP(1982年)
ーリンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)
ーいすゞ・インパルス(1983年)
ーマーコス・マンチュラ(1983年)
ージマー・クイックシルバー(1984年)
ーUMMアルター(1984年)
ーポンティアック・サンバード(1984年)
ークライスラー・レーザー(1984年)
ーダッジ・オムニGLH(1984年)
記憶から消えたマニアックなモデル
戦争、高騰する燃料価格、そして猛威を振るうインフレ。こうした出来事は多くの現代人を悩ませているが、実は同じような状況は1980年代にもたくさん見られた。
本特集では、この1980年代に登場したクルマの中から、今やすっかり忘れられつつある不運なクルマを紹介し、その名を留めたい。

スバル・ブラット(1977年)
聞いたことがないかもしれないが、米国のロナルド・レーガン元大統領はカリフォルニア州の牧場で20年間、このブラットを所有していた。このタフで奇抜な、ランチアにも似た雰囲気を漂わせるクルマは、スバルが1977年から1994年まで米国で販売していたピックアップトラックだ。
米国を中心に10万台が販売されたが、日本には正規導入されていない。後に1.8Lターボを搭載したモデルが人気を博し、スバルの高い信頼性を米国に知らしめた。現在に至るまでの米国市場におけるスバルの成功の礎を築いたクルマである。

プリムス・サッポロ(1978年)
サッポロという車名は、ご存知の通り北海道札幌市のことで、1972年の札幌オリンピックに由来するとされている。三菱とクライスラーが提携し、豪華装備と優れた経済性を持つモデルとしてプリムスブランドから発売された。ランバーサポート付きバケットシート、スモークガラス、電動格納式ミラーなど、装備を列挙していたら誌面が足りなくなってしまう。
その上、約17km/lという低燃費と、購入者を満足させる走りを実現していた。こうして7万台程度が売れたにも関わらず、なぜ今では忘れ去られてしまったのだろうか? それは、三菱とクライスラーの関係が変わり、三菱がコンクエスト(日本名:スタリオン)を投入したからだ。

マイダス・ブロンズ(1978年)
ハロルド・ダーモット氏率いる英国のマイダスは、手軽なスポーツカーメーカーとして世界の頂点を目指せるだけのポテンシャルを秘めていた。しかし、1989年に発生した工場火災により、高い評価を得ながらも1989年に解散してしまった。
1978年に発売されたブロンズは、グラスファイバー製のモノコックボディを採用し、当時の衝突安全テストをクリアした初のモノコック車となった。リチャード・オークス氏による端正なスタイリングとゴードン・マレー氏による空力設計を融合させたゴールド(写真)というモデルも登場し、販売が軌道に乗り始めたところで、火災により金型を焼失してしまう。ブロンズ、ゴールド合わせて500台が生産され、その画期的なデザインは徐々に評価を高めつつある。



















