マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(後編) 記憶から消えてしまうのが惜しいクルマ

公開 : 2025.11.30 11:45

1980年代には、今も高く評価されている名車が数多く生まれました。しかし、その影で忘れ去られつつあるクルマも少なくありません。今回はもっと多くの人に知ってほしい80年代の隠れた名車・迷車を紹介します。

MVSベンチュリ(1984年)

ルノーアルピーヌA610にも似ているが、MVS 260とその兄弟車アトランティック300は完全に独立した製品だ。マニュファクチュール・ドゥ・ヴォワチュール・ドゥ・スポール(Manufacture de Voitures de Sport、略してMVS)が開発し、260psまたは310psのルノー製V6エンジンをミドシップに搭載している。

性能は高かったが、フェラーリに対抗できるほどのインパクトを、本国フランスでさえも与えられなかった。ベンチュリ260は1984年から1994年まで生産され、後継車のアトランティックは2000年まで生産が続いた。速さはあったが、ハンドリングは同価格帯のポルシェ911には及ばなかった。

MVSベンチュリ(1984年)
MVSベンチュリ(1984年)

ポンティアック・フィエロ(1984年)

フィエロはアメリカン・スポーツカーの中で最も欧州車に近い存在だった。頑丈なボディの下にはミドシップ配置の2.5L直列4気筒エンジンが収まり、パワーは後輪に伝達される。しかし、欧州車との類似点はほぼここまで。コスト削減のため走行性能は期待外れで、オイルがエグゾーストマニホールドに漏れる不具合により車両火災が発生、リコールに至った。

ポンティアックは2代目フィエロを救うため3000万ドルを投じたが、時すでに遅し。1986年から1987年にかけて販売台数は半減し、ロータスを気取ったこのクルマは37万台で生産中止となった。

ポンティアック・フィエロ(1984年)
ポンティアック・フィエロ(1984年)

CXA CX(1985年)

シトロエンは1974年にあっさり米国市場から撤退し、それ以来復帰していない。米国道路交通安全局(NHTSA)の安全規制により、CX(写真)のようなモデルの販売が制限されていたのだ。しかし、オランダ人実業家アンドレ・ポル氏とマルコム・ラングマン氏は1980年代初頭にCXオートモーティブ(CXA)社を設立し、このモデルに活躍の場を与えた。同社はシトロエンのフラッグシップモデルにサイドマーカーライトや密閉型ビームヘッドライトの装着など、数々の改造を施して米国規制に適合させた。

リアルウッドのトリムといった高級装備も用意されていた。CXを購入して改造し、米国へ輸送するコストは極めて高く、米国で合法的に認可された仕様は約3万ドル(現在の約7万3000ドル=約1130万円相当)にまで跳ね上がった。数台が販売された後、1991年にCXの生産が終了。同社はXMの開発に注力した。

CXA CX(1985年)
CXA CX(1985年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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