米国で最も革新的だった自動車メーカー パッカードの興亡(後編) 戦争と合併、そして終焉

公開 : 2025.10.04 12:25

パッカード・ホーク

1956年から1964年にかけて、スチュードベーカーは車名に『ホーク』を冠したスポーツモデルを複数投入した。その中でも異色だったのが、スチュードベーカー車としてではなくパッカード車として販売されたモデルである。

1958年のみ販売されたパッカード・ホークは、スタイリングこそ独自の仕上がりだったが、構造とメカニカル面はスチュードベーカー・ゴールデンホークと同一だった。2代目フォード・サンダーバードの強力なライバルとして期待されたが、サンダーバードの成功とは対照的に、ホークの生産台数はわずか588台に留まった。

パッカード・ホーク
パッカード・ホーク

1958年のパッカード

ホークは1958年のパッカードの中で唯一、明確なモデル名を冠していた。他の3車種はボディスタイルにちなみ、単にハードトップ、セダン、ステーションワゴン(写真)と命名され、1950年代後半の米国車基準で見ても複雑と言えるスタイリングを備えていた。

ホークを含め、1958年にスチュードベーカーが生産したパッカードブランド車の総数はわずか2622台だった。

1958年 パッカード
1958年 パッカード

終焉

2年前から予見されていた通り、パッカードは1958年夏にサウスベンド工場での生産を終了し、最後の車両を出荷した。パッカードの名は、スチュードベーカー・パッカード社としてさらに4年間存続したが、1962年にはスチュードベーカー社に改名された。

この合併はパッカードと同様、スチュードベーカーにも何の助けにもならなかった。1902年にインディアナ州でEVの生産を開始したスチュードベーカーは、1966年に廃業した。

パッカードのデトロイト工場、1905年
パッカードのデトロイト工場、1905年

パッカード・トゥエルブ

20世紀末、最後のパッカード車が誕生した。その仕様は、もしパッカード社が存続していたなら考案したであろうものに近かった。アルミ製ボディに、当然ながら8.6L V12エンジンを搭載し、四輪駆動という構成だ。

トゥエルブ(1933年にツインシックスから改名したもの)と名付けられたこのモデルは、量産化には至らなかったワンオフのプロトタイプだが、パッカードの物語を締めくくるものとしては十分に価値がある。2014年のオークションでは14万3000ドルで落札された。

パッカード・トゥエルブ
パッカード・トゥエルブ

まとめ

かつて米国で最もリスペクトされたメーカーの1つが衰退した原因は、当時としては合理的であった2つの決断にある。ワン・トゥエンティは大成功を収め、パッカードが1930年代を生き延びる(かつてのライバルであるピアレスやピアース・アローはできなかった)ことを可能にしたが、同時にそれまでの高級なブランドイメージを損なってしまった。

そして1950年代、パッカードの存続には他社との提携が不可欠であることは明らかだった。スチュードベーカーが唯一の選択肢となったが、それは同時に誤った選択でもあった。パッカード車が単なるスチュードベーカーのバッジエンジニアリングに成り下がった瞬間、関係者全員が間近に迫る終焉を悟ったに違いない。そして合併後の新会社は、特にGMのような強力なライバルに直面した。GMは資金力とスケールメリットを活かし、1962年には51%という驚異的な米国市場シェアを誇っていた。

デトロイトのイースト・グランド・ブールバードに架かる、通称「パッカード橋」。2015年の様子。残念ながらこの橋は2019年に崩壊した。
デトロイトのイースト・グランド・ブールバードに架かる、通称「パッカード橋」。2015年の様子。残念ながらこの橋は2019年に崩壊した。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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