米国で最も革新的だった自動車メーカー パッカードの興亡(後編) 戦争と合併、そして終焉
公開 : 2025.10.04 12:25
トーション・レベル・ライド
1955年に導入されたV8エンジンは競合他社の後塵を拝するものであったが、同年の『トーション・レベル・ライド』サスペンションはパッカードらしい革新的な技術だった。長さ111インチ(約282cm)のトーションバーが左右のフロントコーナーとリアコーナーを連結し、電動モーターが必要に応じて後部を持ち上げることで、車体姿勢を安定させるというものだ。
その結果、1955年モデルのパッカードは非常に柔らかいスプリング設定(快適な乗り心地)でありながら、ピッチングはほぼ抑制され、乗車人数や荷物の量を問わず車高は一定に保たれた。トーション・レベル・ライドはサスペンション設計における大きな進歩だったが、これすらもパッカードを救うには不十分だった。このことは、米国自動車産業の小さな悲劇の1つと言える。

パッカード・フォー・ハンドレッド
1953年にパトリシアンの名称から『400』が外れたものの、2年後に最新の2ドア・ハードトップモデルで再び使用された。今度は数字ではなく文字表記ではあるが。
当時の他のパッカード車と同様、『フォー・ハンドレッド』は新型V8エンジンとトーション・レベル・ライドの両方を備えていたが、それでも販売は芳しくなかった。2年間で生産されたのはわずか1万台強に過ぎなかった。

パッカード・エグゼクティブ
最後の「真の」パッカード車と呼べるのが、このエグゼクティブだ。当時独立ブランドとして販売されていたクリッパーと、高級車パトリシアンの中間に位置するモデルとして作られた。基本的にはクリッパーをベースに、5.8L V8エンジンを搭載していたが、上位モデルに似せるためのスタイリング変更が施されていた。
エグゼクティブの生産期間はパッカード史上最も短く、モデルAとほぼ同じであった。最初の1台は1956年3月にデトロイト工場を離れ、最後の1台はわずか3か月後に出荷された。

パッカード・クリッパー
ここまで説明したように、1950年代前半から中盤にかけてパッカードは経営不振に陥っていた。そこで、資金は乏しいが販売網が広いスチュードベーカーとの合併に活路を見出した。デトロイトでのパッカードの生産は1956年に終了し、最終モデルはすべてインディアナ州サウスベンドのスチュードベーカーの工場で生産された。
その中にはクリッパーの新型も含まれており、独立ブランドではなく、パッカードとして販売された。1957年モデルはスチュードベーカー・プレジデントをベースとし、パッカードが独自に設計したエンジンではなく、スチュードベーカーのスーパーチャージャー付きV8エンジンを搭載していた。この最終期のモデルは、皮肉を込めて「パッカードベイカー」と呼ばれることが多い。愛着を持って語られることはほとんどなく、一部の人々にとってパッカードの物語はすでに終わっていたのだ。















