米国で最も革新的だった自動車メーカー パッカードの興亡(後編) 戦争と合併、そして終焉
公開 : 2025.10.04 12:25
パッカード300
4ドア・セダンの300は、200や250と外観が似ていたが、全長は数インチ長く、スタイリングの細部もわずかに異なっていた。搭載エンジンは250と同じ5.4L直列8気筒のみだった。
300も1951年と1952年のみ販売されたが、その後数年間は別名で継続生産された。

パッカード・パトリシアン
いわゆる「シニア・パッカード」の最終モデルは1951年に登場し、従来のスーパーエイトに取って代わった。2年間はパトリシアン400と呼ばれたが、1953年には数字が省略された。
初期のパトリシアンは5.4L直列8気筒エンジンを搭載していたが、1955年にはモデルチェンジと共に、競合他社がすでに採用していたV型8気筒エンジンを初めて導入した。結果的にこれが唯一のV8搭載モデルとなった。40年前にV12で業界をリードしたパッカードは、この頃には大きく遅れを取っていた。

パッカード・メイフェア
1950年代初頭、パッカードは全モデル名に数字を付ける方針を採っていたが、メイフェアだけは例外だった。遠く離れた英国ロンドンの高級住宅街の名を冠することで華やかさを強調し、米国の購入者に魅力を伝えた。
このネーミングはまさにふさわしいものだった。250の近縁車であるメイフェアは、かつてのように時代を先導するのではなく、2ドア・ハードトップという新たな流行に便乗するために開発された。しかし、残念ながら同種のライバルは多く、1951年から1953年までのいずれのモデルイヤーでも、メイフェアの生産台数は1万台に達していないようだ。

パッカード・キャバリエ
パッカード300は1953年モデルでキャバリエと改名され、5.4L直列8気筒エンジン搭載の4ドア・セダンのみの設定となった。
販売台数は非常に少なく、1954年モデルを最後に生産中止となった。これはV8エンジンの導入直前のことで、もし導入されていれば状況は変わったかもしれない。

パッカード・パシフィック
1950年代のパッカード車の中でも、パシフィックは市場に存在した期間が極めて短く、1954年モデルイヤーのみ販売されていた。メイフェアの後継車種で、またしても2ドア・ハードトップだったが、今回は以前よりも排気量アップした5.9Lの直列エンジンを搭載していた。まったく同じユニットは、1954年のカリビアン・コンバーチブルにも使用されていた。
ウルトラマティック自動変速機が標準装備されたが、販売は伸び悩んだ。パシフィックの生産台数はわずか1189台と推定されている。















