メルセデス・ベンツが開発した型破りなクルマ 30選(前編) 世界を変えた技術と挑戦

公開 : 2025.10.11 11:05

メルセデス・ベンツはこれまで多くの名車を生み出してきましたが、世間を驚かせたクルマもいくつかあります。革新的すぎる設計、固定概念を覆すコンセプト、やや特殊すぎた意欲作など、型破りな30台を紹介します。

良くも悪くも世間を驚かせた30台

メルセデス・ベンツは、他社と比べても特に物議を醸すメーカーというイメージはない。しかし、過去には人々を驚かせ、議論を巻き起こすようなクルマもいくつか生み出してきた。

そこで今回は、広い意味で「物議を醸した」と言える30車種を、時系列順に並べて紹介する。

世界最古の自動車メーカーの1つであるメルセデス・ベンツは、良くも悪くも世間を驚かせるクルマをいくつも生み出した。
世界最古の自動車メーカーの1つであるメルセデス・ベンツは、良くも悪くも世間を驚かせるクルマをいくつも生み出した。

35hp(1900年)

『メルセデス』という名は、ダイムラーのディーラーの1人だったエミール・イェリネック=メルセデス(1853-1918)が提案したものだ。彼はクルマと自身のレーシングチーム、そして奇妙なことに自分自身にも、幼い娘(1889-1929)の名を付けたのである。

ヴィルヘルム・マイバッハ(1846-1929)が設計した35hp(35psとも呼ばれる)は軽量かつ高出力で、当時としては驚くほど低重心だった。その驚異的な走行性能と競技での活躍ぶりは、フランスのジャーナリストでモータースポーツの先駆者ポール・メヤン(1852-1938)に「我々はメルセデス時代に入った」と記させるほどだった。

35hp(1900年)
35hp(1900年)

シンプレックス(1902年)

ヴィルヘルム・マイバッハは35hpに続き、シンプレックスという新モデルを開発した。この名称は、運転操作が前モデルより簡素化され、シンプルになったことに由来する。最高出力40psとさらに高速化し、後に低出力バージョンも追加されたが、1909年に登場した最終モデルは驚異的な65psを誇った。

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(1859-1941)は熱心な愛好家で、マイバッハに「新モデルは『シンプル』とは程遠いぞ」と冗談を飛ばした。一方、米国の実業家ウィリアム・K・ヴァンダービルト(1849-1920)が所有したシンプレックスは今も保存され、現存する世界最古のメルセデスとされている。

シンプレックス(1902年)
シンプレックス(1902年)

メルセデス75hp(1907年)

ダイムラー社内で初めて大きな論争を巻き起こしたのは、ヴィルヘルム・マイバッハの退社だった。対立の末、彼は自動車製造を始める前から在籍していた同社を去り、技術責任者の座はポール・ダイムラー(1869-1945)に引き継がれた。

マイバッハが同社に残した最後の貢献は、初の6気筒エンジンの設計だった。その10.2L仕様は1907年1月、当時75hpと呼ばれたモデルに初搭載されたが、2年後に39/80hpと改名された。9.5L仕様は同年後半に65hp(後の37/70hp)に搭載された。

メルセデス75hp(1907年)
メルセデス75hp(1907年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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