メルセデス・ベンツが開発した型破りなクルマ 30選(前編) 世界を変えた技術と挑戦

公開 : 2025.10.11 11:05

ナイト(1910年)

当時、自社製エンジンを搭載したメルセデス車を10年生産してきたダイムラーが、他社開発のユニットを採用したことは大きな衝撃だったに違いない。それは米国人チャールズ・エール・ナイト(1868-1940)が開発したエンジンであり、彼のスリーブバルブ設計は当時高く評価され、複数のメーカーに採用されていた。

メルセデス初のナイト製エンジン搭載車は1910年に登場した4.0Lの16/40hpというモデルであり、2年後には類似の10/30hpと25/65hpが続いた。ナイトのエンジンは非常に静かだったが、生産もメンテナンスも難易度が高かった。また、発展の可能性が限られていたこともあり、ダイムラーは1924年にナイト製エンジンの採用をやめた。

ナイト(1910年)
ナイト(1910年)

18/100(1914年)

この記事では、主に公道走行向けに開発された車両に焦点を当てているが、1914年7月のフランスグランプリに出場した18/100というレーシングカーは例外として取り上げておきたい。このレースは本質的に、プジョーが代表するフランスとメルセデスが代表するドイツの二国間対決であった。

プジョーは見事な走りを見せたが、結果的にはメルセデスが上位3位を獲得し、表彰台を独占した。地元の観客はドイツに敗れたことに落胆した。レースのわずか1か月後に始まった第一次世界大戦で、両国は敵同士となる。

18/100(1914年)
18/100(1914年)

28/95(1914年)

1914年の欧州最高峰レースを制したダイムラーは同年、革新的かつ非常にパワフルな公道用モデルを発表した。7.3 L直列6気筒エンジンはオーバーヘッドカムシャフト(まったくの新技術ではないが、当時としてはまだ珍しかった)を採用し、最高出力90psという驚異的な性能を発揮した。

第一次世界大戦の開戦によって生産は中断されたが、戦後再開され、1924年まで作られ続けられた。

28/95(1914年)
28/95(1914年)

24/110/160hp(1924年)

長年ヴィルヘルム・マイバッハの後継者として活躍したポール・ダイムラーは1922年に退任し、フェルディナント・ポルシェ(1875-1951)が後任となった。ポルシェが最高技術責任者として初期に手掛けたものの中に、2台の非常に豪華なモデルがある。6.3Lの24/110/160hpと、3.9Lの15/70/110hpだ。この複雑な名称は、課税対象となる馬力、過給器なしの実馬力、過給器使用時の実馬力に由来する。

しかし、注目すべきはエンジンだけではない。当時のダイムラー社のやや大げさなプレスリリースによれば、「シャシーとボディの設計および技術的完成度は、自動車の量産において驚異的な進歩を遂げた」と謳われている。

24/110/160hp(1924年)
24/110/160hp(1924年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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