部品を外され、哀愁漂うアイダホのクラシックな廃車 40選(前編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.11.09 11:25

リンカーン・コンチネンタル(1968年)

エルウッド・エンゲル氏がデザインした4代目リンカーン・コンチネンタル(1961年~1969年)は発売時に高く評価され、工業デザイン協会から銅賞も受賞した。その特徴の1つが逆ヒンジドアだった。この設計は自動車デザインの黎明期には一般的だったが、コンチネンタルの発売時には珍しいものとなっていた。

この個体は1968年式4ドア・セダンで、当時の価格は5970ドルだった。リンカーン販売台数3万9134台のうち75%を占める最も人気のあるモデルであった。

リンカーン・コンチネンタル(1968年)
リンカーン・コンチネンタル(1968年)

ダッジ・ダート(1968年)

ナンバープレートから判断すると、この1968年式ダッジ・ダート4ドア・セダンは、それほど長く道路を走っていなかったようだ。軽い追突事故に遭った様子で、テールランプが破損し、リアフェンダーとトランクリッドにへこみが生じている。それがここに持ち運ばれた理由なのかもしれない。オーナーは処分前にラジオのアンテナすら外そうとしなかった。

ダッジ・ダート(1968年)
ダッジ・ダート(1968年)

キャデラック・クーペ・ドゥビル(1970年)

1970年は3代目キャデラック・クーペ・ドゥビルの生産最終年であり、おそらく最も優雅なモデルと言えるだろう。消費者はその外観と特徴的なV字型グリルを高く評価した。販売台数7万6043台という数字がその人気を物語っている。

キャデラック・クーペ・ドゥビル(1970年)
キャデラック・クーペ・ドゥビル(1970年)

オールズモビル・ナインティエイト(1970年)

アイダホ州の気候はこの1970年式オールズモビル・ナインティエイトの鋼板には優しいが、ビニールルーフには容赦がないらしい。オールズモビルは1970年に63万3981台を販売したが、この種の2ドア・ホリデークーペはわずか2万1111台だった。

オールズモビル・ナインティエイト(1970年)
オールズモビル・ナインティエイト(1970年)

FWD SU-COE(1944年)

この1944年式 FWD SU-COEは、フォー・ホイール・ドライブ・オート・カンパニー(FWD)が米国陸軍兵器局向けに開発した四輪駆動の6トン積トラックで、生産台数は2700台。悪路での重荷輸送が可能で、第二次世界大戦中に欧州戦線で実戦投入された。この個体には屋根に機関銃砲塔用の穴が開いている。

駆動系、グリル、ボディに欠損はあるが、レストア候補としては興味深く、3500ドル(約53万円)という提示価格は妥当だと思われる。

FWD SU-COE(1944年)
FWD SU-COE(1944年)

テムズ・フレイター800

筆者は30年以上にわたって米国の廃車置き場を巡ってきたが、フォード・テムズのバンを発見したのはこれが初めてだ。1957年から1965年にかけて英国で生産され、パネルバン、ピックアップトラック、ミニバンの各種ボディが用意されていた。販売は好調で、エセックス州ダゲナムのフォード工場からは、輸出モデルであるテムズ800やテムズ・フレイターを含め18万7千台が出荷された。

ジム・ハインズ氏は、この個体(手作り木製バンパー付き)はマウンテンホームの町で稼働していたものだと説明してくれた。すでに英国人コレクターの注目を引いており、取引成立間近だと彼は確信していた。テムズは確かにフォードが扱った中でも特に知名度が低いモデルの1つである。

テムズ・フレイター800
テムズ・フレイター800

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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