肉屋の助手からF1チームオーナーへ リジェのサクセスストーリー 歴史アーカイブ

公開 : 2026.01.18 11:45

奇妙なマイクロカー製造へ

この年の夏、JS2はル・マンで大活躍を見せた。コスワース製V8エンジンをフル活用し、わずか1周差で2位に入賞したのだ。リジェは1976年、マトラ製V12エンジンを搭載した自社開発の『JS5』でグランプリに復帰し、さらに注目を集めた。ドライバーのジャック・ラフィット氏は同年3度の表彰台を獲得し、1977年には『JS7』でリジェ初の優勝を飾った。1979年になると2台目のマシンを追加し、タイトル争いの素地を整え、定期的に勝利を収めるようになった。

そんな経歴を持つリジェが、1980年のパリ・モーターショーで排気量49cc、2ストロークのマイクロカーを発表した時はさすがにAUTOCARも困惑した。そのデザインはトラックのキャビンを思わせるものだった。起業家精神旺盛なリジェ氏は、14歳から運転可能な「Voitures sans permis(免許不要車)」の市場に可能性を見出したのだ。

リジェJS4
リジェJS4

『JS4』は数々の成功を収めたマイクロカーの先駆けとなったが、レースチームのエキップ・リジェは1981年以降、かつての栄光を取り戻すことはなかった。ただ、1996年の最終シーズンにはオリビエ・パニス氏の運転によりモナコGPで過酷な消耗戦を制し、ドラマチックな幕引きを迎えている。

ギ・リジェ氏は2015年、85歳で死去し、事業は息子のフィリップ氏に引き継がれた。企業としてのリジェは現在、マイクロカー業界最大手となり、ル・マンを含むさまざまなレースにも参戦している。唯一欠けているのは、公道走行可能なスポーツカーだけだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    役職:主任副編集長
    AUTOCARのオンラインおよび印刷版で公開されるすべての記事の編集と事実確認を担当している。自動車業界に関する報道の経験は8年以上になる。ニュースやレビューも頻繁に寄稿しており、専門分野はモータースポーツ。F1ドライバーへの取材経験もある。また、歴史に強い関心を持ち、1895年まで遡る AUTOCAR誌 のアーカイブの管理も担当している。これまで運転した中で最高のクルマは、BMW M2。その他、スバルBRZ、トヨタGR86、マツダMX-5など、パワーに頼りすぎない軽量車も好き。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

F1からマイクロカーへ フランス・リジェの昔と今の前後関係

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