豊かな歴史が詰まったアウディ博物館の至宝(前編) 魚の鱗を使ったリムジンから唯一無二のレア車まで
公開 : 2026.06.13 11:25
アウトウニオン・タイプC/D(1939年)
アウトウニオンはヒルクライムレース用にタイプC/Dを製作した。その名が示す通り、これはタイプCの16気筒エンジンと、より新しいタイプDのシャシーを組み合わせたものだ。そのスペックは、今日の基準で見てもなお圧倒的である。
ミドシップに搭載された6005ccのV型16気筒エンジンは520psを発生し、最高速度250km/hを実現。他のシルバーアローのレースカーと同様、タイプC/Dも第二次世界大戦後にロシアへ送られ、1995年までドイツへ戻ることはなかった。

DKW F 89 L(1949年)
アウトウニオンが第二次世界大戦後に最初に設計したのは、流線型のコンバーチブルでも、豪華なリムジンでもなかった。それはDKW F 89 Lと名付けられたコンパクトな配送用バンである。これは合理的な判断で、戦後の荒廃から都市と経済を再建するドイツにおいて、商用車への需要が高まっていたからだ。
2ストロークエンジンを搭載したF 89は、今日アウディの本拠地であるバイエルンの町インゴルシュタットで生産された最初のアウトウニオン車でもある。

DKW F 89 P(1950年)
F 89 Pは、DKWが戦後初めて生産した乗用車だ。第二次世界大戦中に開発されたF9プロトタイプを進化させたもので、F8のシャシーを改良したものをベースにしている。
搭載された2ストローク2気筒エンジンは、23psを前輪に伝達する。DKWはF 89のバリエーションとして、クーペや2人乗り/4人乗りのコンバーチブルなどを展開した。

ホルヒ830 BL(1953年)
アウディを設立する以前、アウグスト・ホルヒ氏は自身の名を冠した会社(ホルヒ)を設立したが、1909年に同社から追放されてしまった。世界に1台しかないこの830 BLは、ホルヒのエンブレムを冠した最後のモデルである。1953年、アウトウニオンブランドの責任者リヒャルト・ブルーン氏のために生産された。92psのV8エンジンを搭載し、前席と後席の間にガラス仕切りを備えた堂々たるリムジンだ。
1956年、アウトウニオンは830 BLをある米国人兵士に売却した。彼はこれを米国へ輸送し、周囲のドライバーたちを驚かせながら、毎日運転していた。トランスミッションが故障した際には廃車寸前までいったが、コレクターのアル・ウィルソン氏がこれを救い出し、乾燥したテキサスの砂漠にある自身の敷地内に保管した。ウィルソン氏は830 BLを所有していることを決して自慢せず、歴史家たちもその行方を追えなくなっていた。多くの人が、二度とこのクルマを見ることはないだろうと諦めていた。

ウィルソン氏の子供たちが、父親の庭にひっそりと停められている大きな黒いリムジンについて調べるため、アウディのアーカイブ部門に問い合わせたことで、830 BLの運命は予期せぬ展開を見せた。同社は専門家チームをテキサスに派遣してその真贋を確認した後、830 BLを購入し、ドイツへ輸送した。アウディはこの車両を修復する予定はない。
アウディは2021年、主に中国市場向けに、A8Lの特別な超高級モデルとしてホルヒの名を復活させた。
(翻訳者注釈:この記事は「後編」へ続きます。)















