伝説のラリーカーからロータリーエンジン搭載ファミリーカーまで 豊かな歴史が詰まったアウディ博物館の至宝(後編)
公開 : 2026.06.13 11:45
ドイツ・インゴルシュタットにあるアウディ博物館(Audi Museum Mobile)には、ホルヒやDKW、アウトウニオンの貴重な車両が数多く展示されています。今回はその一部をピックアップして紹介します。
もくじ
ーアウトウニオン1000 S(1958年)
ーアウトウニオン1000 SPコンバーチブル(1961年)
ーDKWジュニア(1959年)
ーDKW F 102(1964年)
ーNSU Ro80(1967年)
ーアウディ100(1968年)
ーアウディ50(1974年)
ーアウディ・クワトロ(1980年)
ーアウディ・スポーツ・クワトロ(1983年)
ーアウディ・スペースフレーム・コンセプト(1993年)
アウトウニオン1000 S(1958年)
戦後初のアウトウニオン車は1957年に登場した。1000と名付けられたこのモデルは、DKW 3=6(F 89の進化形)をベースに、より大型で高出力の3気筒エンジンを搭載し、1960年代のトレンドに合わせたデザインに刷新された。
アウディが展示しているのは1000 Sモデルであり、50psのエンジンと曲面フロントガラスを備え、1000とは一線を画していた。

アウトウニオン1000 SPコンバーチブル(1961年)
アウトウニオンは1957年のフランクフルト・モーターショーで1000 SPクーペを発表し、1961年にコンバーチブル版を追加した。どちらのボディスタイルも、驚くほどフォード・サンダーバードに似たデザインだった。
現代と比べ、当時は容認されていた一般的な慣行であり、ボルボやDAFをはじめとする多くのメーカーが、米国車のスタイリング要素を大胆に取り入れたモデルを販売していた。

ドイツのコーチビルダー、バウアーはシュトゥットガルトで1000 SPのボディを生産し、最終組み立てが行われるインゴルシュタットへ出荷した。両モデルとも、55psを発生する980ccの3気筒2ストロークエンジンを搭載し、スポーティな走りを実現していた。アウトウニオンはロードスターを1640台、クーペを5000台生産した。
DKWジュニア(1959年)
DKWのデザイナーたちは、ジュニアの設計にあたり、再び米国に目を向けた。正面から見ると、1950年代のフォード車を縮小したような印象を受ける。後部では、テールフィンの造形がキャデラックを彷彿とさせる。このボディの中には741ccの3気筒2ストロークエンジンが収められ、マニュアル・トランスミッションを介して前輪に34psを伝達する。
ジュニアは手頃な価格で、1959年から1962年の間に約12万台が生産された。生産はインゴルシュタットに新設された専用工場で行われた。この施設は全面的に改装され、現在もアウディの生産ネットワークの一部となっている。

DKW F 102(1964年)
DKWは、旧式のF 39にルーツを持つ1000を、近代的なF 102に置き換えた。このモデルは、当時すでに多くの競合他社が採用していたモダンなデザインとモノコック構造を備え、DKWを1960年代へと導いた。
しかし、試乗した記者たちは、F 102が依然として時代遅れの3気筒2ストロークエンジンを採用している点を不満としていた。排気量は1168cc、出力は60psで、ドイツのアウトバーンを走るには十分な性能だった。





























