稀代な3台のロータリー マツダ・コスモ、NSU Ro80、シトロエン・ビロトール 前編

公開 : 2019.10.19 07:50  更新 : 2021.03.05 21:43

ロータリーエンジンが招いたNSUの破産

実際、補償問題などが経営を圧迫し、NSU社は破産。1969年にはフォルクスワーゲンアウディ・グループに吸収される。1973年の石油危機もあり、損出の原因でもあるRo80は新体制で廃止されるかと思いきや、1977年まで製造が続いた。NSU社のフラッグシップ・モデルというだけでなく、西ドイツの技術的なシンボルとしてもクルマの存在を認め、存続させたようだ。

同じ1967年、NSU Ro80よりも一歩先に量産されたのがマツダ・コスモ110S。後に強い支持を得ることになるマツダRX−7の第一歩となるクルマだ。メルセデス・ベンツC111は別として、2000年にブレイクが手にした時点で、ロータリーエンジンを搭載する極めて希少価値の高いクルマとなっていた。

NSU Ro80
NSU Ro80

製造期間は1972年までと短く、1176台のうち何台が英国に入ったのかはよくわかっていない。当時の価格、2600ポンド(34万円)はかなり高価だった。ブレイクが所有するコスモはスペインのマツダ・ディーラーで販売されたもの。1990年に英国南部、ボーリューのオークションに出品された時はオリジナルのエンジンはなく、フロントガラスも割れていたらしい。

現在英国に存在するコスモ110Sは2台か3台で、ブレイクのクルマもその1台。「1989年に英国中部のウォリックシャーのスクラップ置き場で、初めてコスモを見ました。完全にボロボロでしたが、1500ポンド(20万円)も払いました」 とブレイクが振り返る。

1968年の試乗車だったと思われる黒いコスモは、レストアされ、数年後に資金を確保するために売却された。「入れ替えで入れた白い車の状態はずっと良いものでした。購入後に急に価値も上がりましたし、特に手を加える必要もないほど綺麗でした」

コスモ110Sの運転を長年夢見てきた

コスモ110Sのスタイリングはとても美しいが、当時の日本車らしく、イタリアや英国、アメリカ車のデザインを混ぜ合わせたようにも見える。ルーフラインや長いテールはサンダーバード風だし、フロントノーズはロータスエランっぽい。全体的な雰囲気は、1950年代後半のアルファ・ロメオ製コンセプトカーのようでもある。

デザインが決定したのは1962年で、発表されたのは1964年の東京モーターショー、生産は1967年に広島で始まった。ディーラーと走行試験用に80台の試作車が製造されている。コスモという名前が与えられたのは日本市場のみで、輸出モデルには110Sというエンブレムが貼られている。

マツダ・コスモ110S
マツダ・コスモ110S

ブレイクが所有するクルマは初期のL10A型と呼ばれる個体で、343台が製造されている。4本のプラグを持ち、ディストリビューターも2基。110psを発生するツインローター・エンジンは4バレルの日立製キャブレターで吸気される。排気量は491ccだが、倍の2.0L規格となっていた。

後期のL10Bコスモは1968年から1972年の間に833台が製造。最高出力は128psになり、5速マニュアルを搭載。ホイールベースも延長されている。リアサスペンションはドディオン式。ブレーキはフロントがディスクでリアがドラムに変わりはなかったが、倍力装置が付けられた。

「長年、110Sの運転を夢見てきました。写真よりも低く小さく感じましたが、車内は快適です。機能的なデザインのダッシュボードには計器類が並び、黒く仕上げられた雰囲気は1960年のジャガーやロータスのようでもあります」 と話すブレイク。

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