コンパクト・トリオ 英国メーカーの考えた未来 A40とアングリア、ヘラルド 前編

2019.11.09

サマリー

1960年代が始まる直前、トライアンフとBMC、フォードは次世代を見据えた新しいコンパクト・ファミリーサルーンを生み出しました。かわいらしいデザインは当時の人気を得ましたが、今も一部の人を魅了する力があるようです。

もくじ

戦後の自由を与えてくれた3台
ピニンファリーナが用意した特等席
5分で組み立てたヘラルド・クーペ
標準以上のライフスタイルを志す人へ

戦後の自由を与えてくれた3台

text:Andrew Robrts(アンドリュー・ロバーツ)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1950年代末に登場したオースチンA40「ファリーナ」とフォード・アングリア105E、トライアンフ・ヘラルド948は、発売当初は大きな衝撃を与えた。

だが、すぐに一般市民に馴染み深いものになり、自由を与えてくれる存在になった。戦後、安定した毎月の給料が見込めて、誰しもがドライブを楽しめるようになった時代だ。

オースチンA40デラックス/フォード・アングリア100Eデラックス/トライアンフ・ヘラルド948
オースチンA40デラックス/フォード・アングリア100Eデラックス/トライアンフ・ヘラルド948

その先代、オースチンA35やフォード・アングリア100E、トライアンフ・スタンダードの存在も誇らしいものだった。しかし1950年代の終わりには、環境汚染への意識の高まりとともに肩身の狭い存在となっていた。

1970年代にはオースチンA40は、良くある古いクルマとなっていたと、1959年モデルのオーナー、リズ・スミスは振り返る。クラシックカーとしての見られ方をされるには時間がかかるし、もっともな評価だったといえる。

デビューしたのは1958年9月。イタリアンなデザインは「豊かな社会」をイメージさせる様になり、スーパーまでの買い物が現代的な暮らしになってきたころ。オースチンA40ファリーナのオーナーはエスプレッソではなく、カフェで紅茶を楽しんでいたかもしれないが、古い伝統に縛られていたわけではない。

BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)は1955年にADO8、A40の開発を始める。同社としては、ピニンファリーナが手掛けたスタイリングを得た初めての量産車。A40を60年以上が経った今見ると、オースチンの伝統的なイメージと当時最先端のスタイリングとが、うまく掛け合わされていることがわかる。

ピニンファリーナが用意した特等席

エンジンやサスペンション、リアブレーキは先代のオースチンA35から受け継いだものを採用。ピニンファリーナが「移動手段の特等席」と呼んだデザインで包まれる。1950年代のキャッチコピーは、なかなか潔いものだったと思う。

フォードやトライアンフと同様に、オースチンの姿で最もわかりやすい特徴は「サイクロラマ・ビュー」と呼ばれる、大きく取られたガラスエリア。太いピラーの間の小さな窓から外を覗くように運転していた、前時代のクルマとは大きな違いだった。

オースチンA40デラックス
オースチンA40デラックス

ボンネットとキャビンという、2ボックススタイルも新鮮。当時はオースチンにはトランクがないという見られ方もしたが、セールスマンはリアシートを自慢気に折り畳んで見せた。「オースチンA40のものは、後付のような荷室ではありません」 と。

1959年、BMCは観音開きのテールゲートを備えたカントリーマンを発表。さらに2年後、MkIIへとマイナーチェンジを受け、ピニンファリーナのデザインも変更されている。

1098ccのAシリーズエンジンは、1962年から搭載された。1963年にオースチンから新モデルのADO16が登場するが、A40はそのまま残った。量産は1967年まで続き、発売当初はやや前衛的に見られていたデザインも、晩年は郊外のドライバーを表すようなクルマになっていた。

2015年にオースチンA40を手に入れたスミス。過去40年間に5台のA40「ファリーナ」を所有している。デラックスには、開閉可能なリアウィンドウやセカンド・サンバイザーなどが含まれるが、今回の3台の中では最も質実剛健的。

 
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