【進化を続けた伝説の1台】フェラーリ250テスタ・ロッサ ル・マンでの優勝 後編

公開 : 2020.05.24 20:50  更新 : 2020.12.08 11:04

エンツォ・フェラーリが生み出した最高のレーシングマシン。1960年のル・マン24時間レースを制したのが、V型12気筒を積むフェラーリ250テスタ・ロッサです。伝説的な存在といえる1台に、英国編集部が試乗しました。

もくじ

シーズン優勝をかけた1960年のル・マン
フェラーリの希望を託された0774
買い物の足となったル・マン・レーサー
神々しい存在感を放つテスタ・ロッサ
フェラーリによるレース・プログラムの中心

シーズン優勝をかけた1960年のル・マン

text:James Mitchell(ジェームス・ミッチェル)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1960年5月、シチリア島で開かれたタルガ・フロリオ。スタート後、1台のフェラーリ250テスタ・ロッサ(TR)がクラッシュし、シャシー番号0774の250テスタ・ロッサはチームをリードする状況となった。

ドライバーはクリフ・アリソンとリッチー・ギンサー。しかし、アリソンは一度3位にまで順位を上げるものの、ギンザーへ交代後にコースアウト。0774はレースをリタイアした。

フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)
フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)

1960年シーズンも常に焦点はル・マンに当てられていたが、その年は世界スポーツカー・チャンピオンシップの最終戦でもあり、一層気は抜けなかった。シーズンでポルシェに先行されていたフェラーリは、レースに勝つ必要があった。

1960年のル・マンには4台の250TRがエントリー。NARTのチームもバックアップで参戦した。ほかにも7台のプライベート・フェラーリが3.0LのGTクラスに参戦。参加車両55台のうち、12台が赤い跳ね馬という状況だった。

プライベート参加となったアストン マーティンDBR1と、新しいジャガーE2Aという強敵も加わっていた。シャシー番号0774は、ゼッケン11番を付け、オリビエ・ジャンドビアンとポール・フレールがドライブした。

ジム・クラークが運転するDBR1が最高のスタートを切るが、マセラティが追いつき、追うフェラーリとの差を広げた。最初の1時間で2位から6位を占める状態を作ったフェラーリ。2番手を走っていたマセラティはピット・インし、順位を大きく下げていた。

フェラーリの希望を託された0774

しかしフェラーリも、燃料系の不調で2台が脱落。フェラーリの希望はシャシー番号0774と、NARTから参戦していたテスタ・ロッサに託された。

フェラーリはピットインの合間に、雨からドライバーを守るレインドレンチ・ガラスを装備。大雨が降り出すタイミングも、味方につけた。

フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)
フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)

ジャンドビアンとフレールは0774をコース上に留め、日が沈んでからもレースをリード。雨が止むとレースは通常のペースを取り戻した。

翌日の午前中は快晴で、0774の250TRは順調にレースを運んだ。レーススタートして2時間後からゴールまで、見事に1位を守ったフェラーリ。遂に1960年のル・マンを制し、世界スポーツカー・チャンピオンシップの優勝を掴み取った。

シャシー番号0774には、もう1つレースが控えていた。フェラーリでオーバーホールされた250TRは、エレノア・フォン・ノイマンへと売却。フィル・ヒルのドライブで、1960年10月のアメリカ・リバーサイドでのレースに参加している。

そこには、いつものメンバーが待っていた。ロータス19モンテ・カルロに座るスターリング・モスに、エキュリー・エコッセのクーパー・モナコT59クライマックスに座るサルヴァドーリ。

ポルシェ718 RSKをドライブするのはヨアキム・ボニエで、ジャガーE2Aのコクピットにはジャック・ブラバムが着いた。優勝したのはマセラティ・ティーポ61をドライブしたビリー・クラウゼ。ヒルが走らせた250TRは7位と振るわなかった。

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