【なぜそこまで尖る?】フォード・ブロンコ、ジープ的な戦略? ディフェンダーとは違う方向性? 日本正規販売は

公開 : 2020.07.19 05:50

尖る理由とは、単なるモデルではなく

では、フォードはなぜ、ブロンコをここまで尖った商品として仕上る必要があったのか?

背景にあるのは、SUV市場の成熟だ。

かつてのフォード・ブロンコとの比較。
かつてのフォード・ブロンコとの比較。    フォード

時代を振り返ってみると、初代ブロンコが登場した、いまから55年前の1965年。フォードはいまになって、初代ブロンコを「アメリカ初のSUV」と呼ぶ。

むろん、当時のユーザーにはSUVというカテゴリーの認識はなく、ブロンコはジープの対抗馬という位置付けだった。

それが90年代になり、アメリカでのSUVブームの前兆が見え始めると、ブロンコは単なるF150の2ドアSUVという中途半端な存在となってしまい、市場の中で埋もれた。

それから24年が経ち、SUV超激戦区となったいま、ブロンコを復活させるため、フォードとして戦略の中で2つの柱を立てる必要があったに違いない。

1つは、前述のように、徹底して目立つこと。見た目も、パッケージングも、そして走りもジープ「ラングラー」や、ランドローバーディフェンダー」と同じフィールドではないようなイメージの、異質感を具現化することが必然だったはずだ。

そのためにも、もう一本の柱として、ブロンコを単なるモデル(車種)ではなく、フォードとして新たなるブランド化する必要があった。

日本にブロンコブランド上陸、あり?

フォードのブランドというと、フォードと、ラグジュアリーブランドとしてのリンカーンがある。

2000年代までは、ラグジュアリー系ブランドのマーキュリーがあったが、時流に合わずに廃止された。

また、フォードのブランド戦略というと、99年から08年まで続いたPAG(プレミアム・オートモーティブ・グループ)がある。

アストン マーティンジャガー、ランドローバー、ボルボという、いま思えばなんとも贅沢なラインアップを総取りしていた。さらに、マツダの大株主でもあった。

結局、そうしたブランドを切り売りしながら、フォードは経営を立て直しつつ、新たなるブランド創設を虎視眈々と狙っていた。

そして目をつけたのが、オフローダーSUVという分野だ。

日本市場でも明白なように、ジープブランドが世界的に安定して成長していることが、ブロンドブランド化の最大の要因である。

ブロンコはフォードにとって、世界戦略車の主力になり得る。

つまり、日本市場においても、フォード再上陸ではなく、ブロンコブランドとしてまったく新しい事業体として日本販売が始まっても不思議ではないと思う。

並行輸入ではなく、フォードのアジア戦略の一環として。

さて、ジープ、ディフェンダー、そしてブロンコと揃うとなると、品定めに苦労するユーザーが増えそうだ。

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