死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 前編 消えない灯火

公開 : 2022.02.20 06:05

数々の自動車ブランドが立ち上がっては消えていく。そんな儚い歴史の中から、彼らが残した名車を紹介します。

死してなお、輝きを放ち続ける名士たち

時代は変わり、市場は進化し、時には支配者である大企業が土にまみれてしまうこともある。車輪が溝にはまり、抜け出せないまま朽ちてしまった自動車会社は少なくない。

しかし、彼らは素晴らしい技術やデザイン、文化を数多く残してくれた。今回は、消滅してしまった自動車メーカーやブランドが製造した名車の数々を紹介する。後編もお見逃しなく。

製造元が消えてしまっても、多くのクルマはオーナーの努力によって美しい姿を保ち続けている。
製造元が消えてしまっても、多くのクルマはオーナーの努力によって美しい姿を保ち続けている。

AMCイーグル(1980年)

今、AMCで最も注目すべきはイーグルである。イーグルは、本格的な四輪駆動システムと十分な地上高によって、厳しいトレイルや膝まで埋まるような雪に挑むファミリーカーであった。いわば、イーグルは現代のクロスオーバー車の前身といえるだろう。

最近、クーペSUVの人気が高まっているが、AMCはイーグルSX/4でそれを実現しており、クーペらしく2ドア仕様になっていた。

AMCはどうなったのか?

AMCイーグル(1980年)
AMCイーグル(1980年)

1979年にフランスのルノーに買収されたが、80年代に燃料価格が比較的安くなったため、小型車を中心としたAMCのラインナップは苦戦を強いられた。ルノーCEOのジョルジュ・ベッセが1986年にテロリストに殺害されると、AMCは1987年にクライスラーに売却され、消滅した。

オースチンヒーレー3000(1959年)

1959年にデビューしたオースチン・ヒーレー3000は、3.0Lエンジンとフロントのディスクブレーキが特徴的なモデルだった。欧州のラリーで威力を発揮したが、北米ではコンバーチブルに憧れる消費者に支えられた。ヒーレーは、1960年代を通じて改良が続けられた、当時の英国を代表するスポーツカーである。写真はオースチン・ヒーレー3000 Mk3。

オースチン・ヒーレーはどうなったのか?

オースチンとヒーレーの20年にわたる契約は、1972年に終了した。その後、オースチンの後継会社であるローバーをBMWが所有するなど、復活の話もあったが、何も形になっていない。社名自体は現在、中国の上海汽車(SAIC)が所有している。

オースチン・ヒーレー3000(1959年)
オースチン・ヒーレー3000(1959年)

アウトビアンキA112アバルト (1971年)

フォルクスワーゲンホットハッチパイオニアとして認められがちだが、なぜかアウトビアンキのA112アバルトは見落とされている。確かにA112はマッチ箱のようなサイズなので、視界に入らないのも無理はない。

1971年9月、まだゴルフの名が存在していなかった時期に、成功を収めたA112の高性能バージョンとして登場している。初期モデルは最高出力59psの4気筒エンジンを搭載していたが、生産が進むにつれて71psまでパワーアップした。

アウトビアンキはどうなったのか?

アウトビアンキA112アバルト (1971年)
アウトビアンキA112アバルト (1971年)

同社は、自転車メーカーのビアンキ、ピレリフィアットの3社による合弁会社であった。1968年にフィアットが全権を握り、ランチアに吸収合併された。アウトビアンキのバッジは1995年に消滅している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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