ロンドンからメキシコへ辿り着ける? 1970年ワールドカップ・ラリー挑戦マシン 後編

公開 : 2022.07.17 07:06  更新 : 2022.11.01 08:49

ロンドンからメキシコを目指した1970年のワールドカップ・ラリー。その記念イベントへ英国編集部がお邪魔しました。

ミニ1275 GT(1971年)

オーナー:ジョン・カドワラダー氏

1970年のロンドン・メキシコ・マラソンラリーへ挑んだ唯一のミニが、1275 GT。四角いフロントマスクに変更されたモデルだ。ワークス体制だったものの、当時のブリティッシュ・モーター・コーポレーションは、完走を期待していなかったという。

ミニ1275 GT(1971年)とジョン・カドワラダー氏
ミニ1275 GT(1971年)とジョン・カドワラダー氏

それでも、欧州のステージをリードすることで、1275 GTの速さを証明できると考えたようだ。実際、その後に廃版となるクーパーSより遅かったため、販売上重要だったのだろう。

そんなミニ1275 GTだが、ユーゴスラビアでエンジンのピストンを飛ばしてしまう。欧州でも、速さを充分にはアピールできなかった。

今回イベントに参加したクルマは、細部まで正確に再現されたレプリカ。オリジナルの所有者は、この手のミーティングに参加しない人らしい。

「ワールドカップ・ラリーでの、ブリティッシュ・レイランドによる幅広い挑戦を披露したいと考えて参加しました。トライアンフとマキシ、そしてミニは1台だけでね」。とオーナーのジョン・カドワラダー氏が話す。

ラリーへの情熱を持つ彼は、見習い技術者として働いた経験を持っている。1968年のロンドン・シドニー・マラソンラリーにも参戦したチームで。

現在のマラソンラリーへの関心は、そこが原点だという。「最初のクルマもミニでした。ワールドカップ・ラリーに挑んだレプリカを仕上げることは、自分にとって自然な流れでした」

シトロエンDS21(1970年)

オーナー:アンドレ・ミドル氏

シトロエンは、ロンドン・メキシコ・マラソンラリーで7台のDS21をサポートをしている。技術面に加えて、資金面でも。DS21は、それ以前からラリーでは一定の成果を残していた。1966年のラリー・モンテカルロでの勝利は、その代表といえるだろう。

シトロエンDS21(1970年)とアンドレ・ミドル氏
シトロエンDS21(1970年)とアンドレ・ミドル氏

ロンドン・メキシコでは、ボブ・ネイレット氏とジャック・テラモルシ氏というペアがドライブするDS21の12号車が、ボリビアへ入った時点で6位を走行していた。だが、その後にエンジンが故障しリタイアしている。

マラソンラリーへ出場したDS21は、信頼性を証明する目的で基本的にはノーマル状態が保たれていた。そのためか、壊れた出場車をフランスへ戻す必要はないと考えたらしい。南米大陸に残されたDS21の行方は、不明になっていた。

2005年、現オーナーのアンドレ・ミドル氏が愛車のシトロエンでボリビアをドライブしていると、地元の男性が声をかけてきたという。彼の話では、自宅の庭に古いフランス車が停まっているとのこと。実際に見に行くと、12号車そのものだった。

その彼は、現地でシトロエンの輸入業者をしていた人物の息子。父親が、ラリーで壊れたDS21を買い取ったらしい。

ミドルが買い取るまでに、何年もの交渉が必要だった。2017年に話がまとまり、現地でクルマをレストアし、友人を招いてメキシコシティまで走らせたそうだ。ロンドン・メキシコ・マラソンラリーを完走させるため。

「メキシコシティから英国へクルマを戻すことは、少なくとも自分にとって、マラソンラリーの最後のステップを意味しました。今は買い手を募集中です」

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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