実現しなかったスーパーカー 45選 後編 文字通り「夢」に終わった幻のコンセプト

公開 : 2023.03.26 18:25

発売されなかったことが悔やまれる商品は自動車業界に数多く存在します。莫大な予算をかけて開発されたスーパーカーも例外ではありません。人々が夢見るクルマが、本当に夢のまま終わってしまった45の事例を紹介します。

TVRスピード12(1997年)

資産家でエンジニアのピーター・ウィーラー氏のTVRに対する野心が集約されている1台。1990年代の成功を踏まえ、ウィーラー氏はポルシェやメルセデスを相手にGT1耐久レースのカテゴリーに参戦しようとしていた。7.7L V12エンジンを搭載し、最高出力800psを発揮するスピード12は、そのためのツールであった。

実際にレースに参加したものの、ル・マンには出場できず、並行して行われた市販車プロジェクトも頓挫している。価格は18万8000ポンドで、約970psを発揮し、いくつか注文も受けたものの、ウィーラー氏は公道で使うには強力すぎると考え、予約金を顧客に返却することにしたのだ。

TVRスピード12(1997年)
TVRスピード12(1997年)

フォルクスワーゲンW12(1997年)

フォルクスワーゲンは、1997年のW12シンクロを皮切りに、何度もスーパーカー開発に挑戦してきた。翌年にはW12ロードスター、そして2001年にはW12ナルドが登場した。いずれも、ベントレー・コンチネンタルGTや、高級セダンのフェートンに搭載されることになるW12エンジンを使用している。

W12シンクロおよびW12ロードスターは、5.6LのW12エンジンから420psの出力を得ていたが、W12ナルドは600psにパワーアップしている。これにより、0-97km/h加速3.5秒、最高速度340km/hを実現。「VW」のスーパーカーとして説得力のある1台となったが、結局ブガッティのエンブレムを付けることになり、エンジンもW16に変更された。

フォルクスワーゲンW12(1997年)
フォルクスワーゲンW12(1997年)

ベントレー・ユーノディエール(1999年)

ユーノディエール(Hunaudieres)とは、フランス語でル・マン・サーキットの一部を指す名称で、英語圏では「ミュルサンヌ・ストレート(Mulsanne Straight)」と呼ばれている。

1924年から1930年まで24時間レースを5度制したベントレーは、1999年のジュネーブ・モーターショーに出展したコンセプトカーにこの名称を与えた。このコンセプトカーが、市販車に搭載された最初のW16エンジンの公開となった。

ベントレー・ユーノディエール(1999年)
ベントレー・ユーノディエール(1999年)

この8.0L W16エンジンは、後にブガッティ・ヴェイロンに搭載されたものである。ユーノディエールはヴェイロンと異なり、自然吸気かつ後輪駆動であったが、ある意味、ブガッティによって市販化を実現したコンセプトと言えるかもしれない。

アウディ・ローゼマイヤー(2000年)

ユーノディエールの次にヴェイロンに近づいたのは、自然吸気のW16エンジンを搭載しながらも、アウディの伝統に従って四輪駆動を採用したローズマイヤーである。

この名称は、1930年代に非常にパワフルな16気筒のアウトユニオンで活躍したベルント・ローゼマイヤー氏(1909-1938)にちなんだもの。コンセプトのデザインは、速度記録を更新したアウトウニオンに似せている。

アウディ・ローゼマイヤー(2000年)
アウディ・ローゼマイヤー(2000年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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