アンフィカー(1961~1968年)

半分がボート、半分が自動車というアンフィカーは、どこへでも自由に行ける乗り物を目指している。1961年に発表されたときは「波紋」を呼んだが(ダジャレではない)、ボートとしてもクルマとしても優秀でないことがバレてしまった。

ドイツに本社を置くクヴァント社は、トライアンフ譲りの4気筒エンジンを搭載したアンフィカーを1968年まで3878台生産した。後継車は生まれず、ライバルも現れなかったため、世界で最もよく知られた水陸両用車の1つとなっている。

アンフィカー(1961~1968年)
アンフィカー(1961~1968年)

ランドートップ(1970年代と1980年代)

「擬似コンバーチブル」とも呼ばれ、固定ルーフを布やビニールで覆ってソフトトップのように見せたランドー(Landau)ルーフ。フォード・サンダーバード(写真)のような大型モデルによく見られたが、フォルクスワーゲン・ゴルフのような一般的なクルマにも装備されていた。

最初は馬車のように上品に見え、1970年代の米国では人気のオプションとなった。1980年代には流行遅れとなるが、1990年代にも一部のクルマに採用された。2020年現在、工場出荷時にランドートップが装着されているクルマは1台もないが、後付けで装着してくれるショップはまだ存在する。

ランドートップ(1970年代と1980年代)
ランドートップ(1970年代と1980年代)

キャデラックの気筒休止技術(1981年)

1973年と1979年のオイルショックに翻弄されたキャデラックは、ダウンサイジングやパワーに妥協のない、低燃費なクルマを作る方法を模索し始めた。完璧な答えとして見出されたのが、V8エンジンをV6やV4に変身させる気筒休止技術で、1981年のモデルイヤーに「V8-6-4」というストレートな名称のエンジンがデビューした。フリートウッド・ブロアム(写真はクーペ)をはじめとする、複数のモデルに搭載された。

最初の苦情が寄せられるまで、数週間しかかからなかった。顧客は、エンジンが何気筒であろうとスムーズさを欠き、眠っているシリンダーが目を覚ますのにも時間がかかると批判した。キャデラックは問題を解決するために13回ものアップデートを行ったが、最終的に1982年モデルでV8-6-4エンジンの搭載を中止した。

キャデラックの気筒休止技術(1981年)
キャデラックの気筒休止技術(1981年)

自動車電話(1980年代と1990年代)

自動車電話は1940年代に発明されたが、一般的な光景となったのは1980年代に入ってからで、それでも裕福な人が乗る高級車に搭載されるのが普通だった。一種のステータスであり、1990年代初頭に携帯電話が普及するまでは近未来的な雰囲気も漂っていた。今にして思えば、自動車電話がスポットライトを浴びたのは、ほんの数年のことである。

自動車電話(1980年代と1990年代)
自動車電話(1980年代と1990年代)

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ。テレビゲームで自動車の運転を覚えた名古屋人。ひょんなことから脱サラし、自動車メディアで翻訳記事を書くことに。無鉄砲にも令和5年から【自動車ライター】を名乗る。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴとトマトとイクラが大好物。

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