アイデアは良いのに消えたクルマ 21選 名案でも「不要」と判断された黒歴史

公開 : 2023.08.20 18:05

素晴らしいけど長続きしなかったアイデアは数多く。狭い駐車場でも荷物を下ろしやすいルノーのトランク、トヨタの若者向けサブブランド、メルセデスの高級トラックなど残念な結果に終わった「名案」を紹介。

はじめは「名案」だと思ったけど……

自動車業界も消費者も気まぐれだ。

モデル、ボディスタイル、新機能、テクノロジーは、台頭するやいなやすぐに廃れてしまうことがある。また、発表された当時はとても素晴らしいと思われたアイデアも、数年後には時代遅れになってしまうことがある。

アイデアは悪くないのに受け入れられなかったクルマ、ブランド、技術を紹介する。
アイデアは悪くないのに受け入れられなかったクルマ、ブランド、技術を紹介する。

今回は、メルセデス・ベンツのピックアップトラックからトヨタの若者向けサブブランドまで、一見すると「名案」だったのに消えてしまったアイデアを紹介したい。

電気自動車(1900年代)

20世紀に入ってから、電気自動車は米国内外で異例の売れ行きを見せた。同クラスのガソリン車よりもスムーズで、操作もはるかに簡単だったからだ。ヘンリー・フォードの妻クララはT型には乗らず、デトロイト・エレクトリックの47型(写真)を日常的に運転していたという。

1910年代には内燃エンジンの技術が急速に進歩し、電動スターターなどの普及によってガソリン車の使い勝手も大幅に向上した。燃料価格が下がるにつれ、バッテリー駆動の電気自動車のシェアは低下。1920年代にはすっかり影を潜め、再び大きな注目を集めるようになったのは1990年代後半になってからである。

電気自動車(1900年代)
電気自動車(1900年代)

タービン車(1940~1960年代)

1950年代、従来のピストンエンジンに代わる有望な選択肢として、タービンを動力源とする自動車が登場した。勇敢なテストドライバーがローバー・ジェット1のプロトタイプで最高速度240km/hを達成し、そこで得た教訓は、ブリティッシュ・レーシング・モーターズが1963年のル・マン24時間レースに投入したタービンエンジン搭載マシンの開発に役立った。実験的なレーシングカーであったため、公式にはレースに出場していないが、仮に出場していれば8位入賞を果たしていた。

米国では、クライスラーがタービン技術の性能を評価するために、ターバインと呼ばれる50台のクーペ(写真)を実際に顧客の手に渡したことで有名だ。ローバーが経験したのと同じような多くの問題にぶつかったが、1970年代まで静かにタービンの微調整を続けた後、さじを投げた。

タービン車(1940~1960年代)
タービン車(1940~1960年代)

透明ルーフパネル(1950年代)

航空宇宙デザインと自動車デザインが合体した1950年代、多くの米国車にフィンが付けられていた。同じく、自動車ショーで大きな注目を集めたのが、半球状の透明なルーフパネルだった。戦闘機のキャノピーを彷彿とさせるデザインである。

1953年に発表されたゼネラルモーターズのファイヤーバードI(写真)のように、大胆な未来的コンセプトカーにはしばしば採用されたが、製造や安全性、コストに関する懸念もあり、量産モデルに導入するのは簡単ではなかった。デザイナーたちは1960年代にこのキャノピーに愛想を尽かしてしまったが、ピニンファリーナは現代にこのキャノピーを復活させる計画を立てていた。

透明ルーフパネル(1950年代)
透明ルーフパネル(1950年代)

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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