「現実なのか」って思うほど素晴らしい時間 アルファ・ロメオ1900でミッレミリアを走ってみた2人(2)

公開 : 2024.01.14 17:46

クラシックカー・イベントの代表格といえるイタリアのミッレミリア 現実的なアルファ・ロメオ1900を自ら直し、参加した2人を英国編集部が取材

5日間で2400km以上走るミッレミリア

2023年のミッレミリアへ参加した、マーク・デヴァニー氏が振り返る。「1950年代のクルマの場合、翌日以降は午前8時前後のスタート。スピードが出ない1930年代のクルマなどは、もっと早朝に出発していきます。そして、ホテルに戻るのは真夜中です」

「ゆっくり休むことはできないと、事前に忠告は聞いていました。困難なほどではありませんでしたが、かなりの集中力と体力は必要。運転は大変です」

アルファ・ロメオ1900 スーパー(1950〜1959年/欧州仕様)
アルファ・ロメオ1900 スーパー(1950〜1959年/欧州仕様)

「しかも、実際は3日間で1000マイル(約1609km)ではなく、5日間で1500マイル(約2414km)も走るんです。最長16時間運転した日もありました」

アルファ・ロメオ1900 ベルリーナは、ほかにもう1台が出場していた。アルファ・ロメオ・ミュージアム所蔵の、魅力的なスポルティーバも走ったという。「多くの応援を受けながら、素晴らしい時間を過ごせました。現実なのか、って疑問に思うほど」

2人の1900も、好意的な反応を受けたという。ガルウイングのメルセデス・ベンツ300SLや、ポルシェ356といった、お金持ちが乗るクルマとは対照的なことが、プラスになったようだ。

「356は、レース用ガソリンで走っていました。サービスクルーが、給油する様子を見ましたからね。その後ろを走ると、目に染みるんですよ」

メルセデス・ベンツがスポンサーとして加わっており、ゲスト用のホスピタリティカーとして走ったSLもあった。「招待されたVIPは4時間のスティントを運転し、次の人へ交代していくんです」。とマークが説明する。

コロッセオを通り過ぎたことも覚えていない

ル・マン24時間レースで、ザウバー・メルセデスをドライブしたヨッヘン・マス氏も参加していた。彼らは攻めた運転で早めにチェックポイントへ到着するものの、適切なタイムスタンプの刻印のため待つことがあり、流れを妨げていたと振り返る。

「かなり暑く、タイムトライアルの出走前に(ガソリンが気化する)ベーパーロック現象が心配で、木陰で待つことにしました。しばらくすると、300SLに場所を代われと追い出されましたが」。とマークは愚痴をこぼすが、殆どの参加者は友好的だった。

アルファ・ロメオ1900 スーパー(1950〜1959年/欧州仕様)
アルファ・ロメオ1900 スーパー(1950〜1959年/欧州仕様)

「アルファ・ロメオ・ジュリアに乗っていた男性は、次は1900 ザガートで参加したいと話していました。フェラーリは、ミッレミリアには向いていないと。彼はアメリカのフェラーリ・コレクターで、色々理解しているのでしょう」

2日目は午前7時のスタート。東海岸のサンマリノでコーヒー休憩を挟み、南へ下ったセニガッリアでランチを取った。

1900の車内へ追加した卓上ファンの風で涼みながら、マークはロードブックとトリップメーターの読み方を理解していった。「タイムトライアルは、平均速度が低め。ダッシュボード上に、10個もタイマーを並べているコドライバーもいました」

「コツを掴めていれば、もっと上位に入れたかもしれません」。とマーク。「しかし、とても疲れていましたけどね」。とシェリダン・ボウイ氏。

夕方にはローマへ到着。「コロッセオの横を通り過ぎたことも覚えていません。途中で警察の護衛があったのですが、渋滞で見失い、諦めてホテルへ向かいました」

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

アルファ・ロメオ1900でミッレミリアを走ってみた2人の前後関係

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