アスファルトへ吸い付く低さ EJS-クライマックス(2) 1950年代のロータスへ劣らぬ仕上がり

公開 : 2025.04.19 20:45

1950年代のロータスへ劣らない仕上がり

自分の理想のスポーツレーサーを作ることは、カーマニアにとって追い求めたい夢の1つといえる。1950年代のグレートブリテン島には、まさにその黄金期が到来していた。

技術的には、ガレージにこもって個人的に組み立てられるほどシンプルな水準ではあった。それでも、エンジンやトランスミッションなど、有能なコンポーネントを簡単に入手できた。現実的な予算で、充分な戦闘力を引き出すことは不可能ではなかった。

EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)
EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

EJS-クライマックスには、大きな可能性を感じる。歴史への影響は小さくても、当時の羨むような環境と独創的な挑戦で体現された、出色のスポーツレーサーだといっていい。1950年代のロータスへ、劣らないくらい。

協力:ニック・アールダーリング氏、ギャラリー・アールダーリング社

番外編:コベントリー・クライマックスの4気筒

1903年にリー・ストロイヤー社として創業し、1917年に改称された自動車メーカーが、コベントリー・クライマックス社。その数年後にはエンジン製造へ軸足を移し、スポーツレーサーだけでなく、発電機や南極探検車まで幅広い動力源として活躍した。

その後、ジャガーのXKエンジンに携わったウォルター・ハッサン氏と、もとBRMレーシングチームのハリー・マンディ氏によって、英国で量産されていた4気筒と一線を画すユニットが生み出される。英国モータースポーツの、育ての親のような1基と呼んでいい。

EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)
EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

それが、1955年のFWAユニット。FWとはフェザーウェイトの略で、重量は82kgと軽い。オールアルミ製のオーバーヘッドカム直列4気筒エンジンで、充分に温まらずとも高回転域での連続運転が可能だった。

その頃、ジョン・クーパー氏やコーリン・チャップマン氏といった錚々たる人物は、BMCやフォード由来のスチール製アンダースクエア・ユニットに代わるエンジンを望んでいた。彼らにとって、格好の選択肢になったことはいうまでもない。

排気量は1097ccで、最高出力はチューニング次第で77psから97psを引き出せた。クーパーやチャップマンは、1955年から1957年の3年間に、FWAユニットを搭載したマシンでル・マン24時間レースへ参戦。ロータスは、1956年に総合7位を果たしている。

F1での優勝も飾ったFWユニット

続いて登場した1460ccのFWBユニットは、F2用マシンに登用。744ccのFWCユニットはロータス・イレブンに搭載され、ル・マンのインデックス・オブ・パフォーマンス賞を獲得している。

FWDは、4気筒のディーゼルエンジン。ロータスがエリート用に1216ccの排気量で発注したものが、FWEユニット。最高出力は、106psまで引き上げることが可能だった。

EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)
EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

FWMユニットは、ルーツ社へライセンス提供。ヒルマン・インプの動力源となり、40万基以上が組み立てられている。他にもツインカムのFPEユニットに加えて、F1用FWMV V8ユニットへ派生。クーパーとロータスで、優勝を勝ち取っている。

記事に関わった人々

  • チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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