自作マシンで狙ったロータス超え EJS-クライマックス(1) クラッシュで意気消沈

公開 : 2025.04.19 17:45

チャップマンを師として仰いだスナッシャー チューブラー・シャシーは僅か22kg 路面へ吸い付くように低いボディにコベントリー・クライマックス・エンジン 英国編集部がレアな1台をご紹介

クルマ作りの師として仰いだチャップマン

エドウィン・ジョセフ・スナッシャー氏は、1950年代らしい、筋金入りの英国人カーマニアといえた。自動車製造の経験は持ち合わせていなかったが、知人のコーリン・チャップマン氏が手掛ける、ロータス以上に速いスポーツレーサーの自作へ挑んでいる。

ボディとエンジン、トランスミッションは、それぞれ異なるサプライヤーから調達。シャシーとインテリアは、自ら設計しカタチにしていった。着想から2年後の1956年には、サーキット・イベントへの参戦を果たしている。

EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)
EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

スナッシャーには、不満ないモノづくりの技術力があった。ロンドン南西部、ワンズワースに生まれ、自立後は電子機器のエンジニアとして実力を発揮。チャップマンの軽量化に対するこだわりへ強く共感し、クルマ作りの師として仰いだ。

彼が1098ccの4気筒エンジン、コベントリー・クライマックス FWAユニットを選んだのも、当然の判断といえた。その頃のロータスも、パワートレインとしていたからだ。

ハイリフトカムにサイドドラフトのツイン・ウェーバーキャブレター、スムーズな排気マニフォールドを装備し、最高出力は97psに届いた。トランスミッションは、今では珍しいデビッド・ブラウン社製の5速マニュアルを組んでいる。

スチール製チューブラー・シャシーは僅か22kg

ボディは、1950年代半ばの英国モータースポーツを盛り上げた1社、マイクロプラス社製。同社はグラスファイバー技術を利用し、戦前のオースチン・セブンへ流線型のボディを与えるべく、とあるカークラブのメンバーによって1954年に設立されている。

マイクロプラス社のミストラルは、1955年に発売された2番目の量産ボディ。戦前のフォード・モデルC テンのシャシーへ、ぴったり被さる設計だった。スナッシャーは、思い描くスポーツレーサーへ好適なサイズだと判断。当時で58ポンドを支払った。

EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)
EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

この辺りまでは、比較的定石の内容といえるが、シャシーは独創的なものだった。単体で22kgしかない、スチール製チューブラー・スペースフレームを自ら開発。特にサスペンションでは、独自の構成が試みられている。

フロント側は、平行に2本伸びた横方向のアームと、2本のリーディング・アームでハブを支持。上下に動いてもキャンバー角とキャスター角の変化が小さい、ダブルウイッシュボーンに似た特性を得ていた。

ショックアブソーバーはパイプ状の一般的なものだったが、横に寝かされた2本のコイルスプリングを左右で共有。だが、理想としたレートのコイルが見つからず、リーフスプリングを追加し調整された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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