マクラーレンF1 GTR(1) 老舗百貨店がスポンサーのル・マン・マシン 史上最大級の番狂わせ

公開 : 2025.06.14 17:45

24時間に耐えるF1 GTRは不可能だった予算

アルファイド家は、シャシー番号06RのF1 GTRを購入。マッハ・ワン・レーシングが結成され、マシンはイエローに塗装された。そのデビュー戦となったのは、1995年4月にスペインのハラマ・サーキットで開かれた、BPR GTシリーズ第4戦だ。

マクラーレンはF1 GTRの発表時、24時間ではなく4時間の耐久シリーズ・レースを想定したマシンだと説明。ル・マンへの参戦は、完全に否定していた。

ハロッズ・マクラーレンF1 GTR(1995〜1996年)
ハロッズ・マクラーレンF1 GTR(1995〜1996年)    マクラーレン

「当時の予算では、24時間を走破できると信じられる、F1 GTRを生み出すことは不可能でした。しかしレースで開発を重ね、性能を確信できたんです。もちろんチームのメンバーは、ル・マンへ挑戦したいと口にしていました」。ハゼルが説明する。

マクラーレンは、ル・マンに向けてアップグレード部品を開発。ブレーキはカーボン製になり、Hパターンの6速マニュアルにも改良が加えられた。22時間に及ぶシミュレーションの結果を受けて、クラッチも強化された。

GT1のライバルはプロトタイプマシン

BPR GTシリーズには6台のF1 GTRが提供されたが、ル・マンの予選までに7台目が加わった。日本で美容整形外科の上野クリニックを経営する、佐山元一氏がスポンサーについた、国際開発レーシング・チームをマクラーレンが結成させて。

とはいえ、翌日の朝を迎えることは困難だと予想された。「トランスミッションは問題だらけでしたから」。2023年にこの世を去ったプライス氏が、かつて説明している。

国際開発レーシング・マクラーレンF1 GTR
国際開発レーシング・マクラーレンF1 GTR    マクラーレン

エントリーしたのは、最上階級のGT1。相手はプロトタイプマシンで、ロードカーが土台のF1 GTRは性能的に及ばなかった。予選でポールポジションを取ったのは、耐久性に疑問があったWRプジョー LM95。タイムは最速のF1 GTRより、11秒速かった。

優勝候補と目されたのは、クラージュ・ポルシェC34。ドライバーはマリオ・アンドレッティ氏で、8秒上回っていた。F1 GTRのグリッドトップは、国際開発レーシングで9位。その前には、フェラーリF40 GTEが3台立ちはだかっていた。

執筆:ゲイリー・ワトキンス(Gary Watkins)
画像提供:マクラーレン

この続きは、マクラーレンF1 GTR(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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