常に眩しい存在。自動車画家Bowさんを偲ぶ【日本版編集長コラム#42】

公開 : 2025.08.10 11:45

AUTOCAR JAPAN編集長ヒライによる、編集長コラムです。最近乗ったクルマの話、取材を通じて思ったことなどを、わりとストレートに語ります。第42回は、7月20日にマツダR&Dセンター横浜で開催された『Thanks Bow。Party』に参加した話です。

喪服を着ないカジュアルな服装で

7月20日、マツダR&Dセンター横浜で『Thanks Bow。Party』が開催された。こちらは昨年11月17日に亡くなられた自動車画家、『Bow。』こと池田和弘さんを偲んで企画されたものだ。

企画されたのは『by Bow。collection事務局』の水落正典さんで、水落さんはBowさんの遺志により原画などの管理を託されたそう。通販サイト『OPEN INC.』では現在もカレンダーや、没後に製作された絵本『不思議の国のロードスター』などを販売中だ。

『Thanks Bow。展』ではBowさんの仕事場を再現。
『Thanks Bow。展』ではBowさんの仕事場を再現。    平井大介

なお本稿は筆者が在籍していたカー・マガジン編集部に従い、『Bow。』あるいは『Bowさん』と表記する。また、肩書はイラストレーターではなく『自動車画家』が正式で、ご本人は『絵描き』と仰ることもあった。また、イラストではなく『自動車絵』、『表紙絵』などと書くことが多い。

さて、この日はご本人の遺志に沿い、喪服を着ないカジュアルな服装での開催。関係者、友人だけでなくファンも参加できるオープンな形で、100名以上が集まることになった。

受付のあるホワイエでは、『Thanks Bow。展』と『2025ロードスター展』が開催されていた。Bowさんはマツダ・ロードスターの絵を長年描き続けていて、会場がマツダR&Dになったのもそういったご縁からだ。

展示のメインは赤いNA型ロードスターの実車と壁一面のサイズ絵が並んでいるところで、絵の下にはBowさんの仕事場が再現されていた。実際に絵を描いているところを人にほとんど見せなかったというBowさんだから、この再現は来場者を驚かせたようだ。

「この年まで絵描きでいられて幸せだった」

会場には思い出の品とともに、4台の愛車が展示されていた。

それはBowさんの代名詞といえる『トライアンフTR-3』はもちろん、『トライアンフTR-4』、『ロータス47GT』、さらに最近レストアされたバイク、『トライアンフT-100』だ。なおこれらは全て、Bowさんをよく知る方々が既に受け継いでいるとのこと。

Bowさんの愛車であった手前からトライアンフTR-3A、同TR-4、ロータス47GT。
Bowさんの愛車であった手前からトライアンフTR-3A、同TR-4、ロータス47GT。    平井大介

開会してまずは、奥様の池田晴美さんがご挨拶。生前Bowさんは「この年まで絵描きでいられて幸せだった」と語ったそうで、晴美さんも「いつも(読者などが)喜んでもらえる顔を想像して描いていました。今日も多くの方にお集まり頂き、喜んでいると思います」と感謝を述べた。

続いてはAUTOCAR JAPAN総編集長、笹本健次が弔辞を述べた。笹本は1983年に発売された『スクランブル・カー・マガジン38号』で、以後定番となるBowさんの表紙絵全面採用を開始。依頼に押しかけた時、あるいは一緒にラグナセカを訪れた時などの話を述べ、最後、言葉を詰まらせる場面もあった。

ここでいったん歓談の時間となり、Bowさんが好きで打ち合わせの場所にもよく使われていたマクドナルドのハンバーガーなどを食べつつ、それぞれが思い出話に花を咲かせた。また、展示車両などが映された動画上映も行われた。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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