カスタムカー界隈で話題の解体場で見つけた貴重な「廃車」 20選 ジャンクヤード探訪記
公開 : 2025.10.05 11:45
マーキュリー
この驚くべきラインナップから推測できる通り、ダグズ・オートパーツはマーキュリー車を専門的に取り扱っていた。わたし達が確認しただけでも20台以上が並んでいる。マーキュリーは1938年、エドセル・フォードによって中価格帯ブランドとして創設され、フォードとリンカーンの間の価格差を埋める役割を果たした。
21世紀に入ると販売台数は急減し、2000年の35万9143台から10年後には9万3195台まで落ち込んだ。マーキュリーは2011年に生産終了となり、最後のグランドマーキスは同年1月に生産ラインを離れた。

マーキュリー(1951年)
この素晴らしい1951年式4ドア・セダンの当時モノのサンバイザーに注目だ。同年代のマーキュリーが数多く並ぶこのヤードが、カスタムカー界で有名だったのも不思議ではない
この個体はサイドシルの腐食がひどかったが、レストアすれば素晴らしい1台に仕上がったはずだ。

シボレー・モンテカルロ
1970年代初頭のシボレー・モンテカルロを探している人はいないだろうか。ダグズ・オートパーツには4台もあった。状態は良くなかったが、それらを組み合わせてまともな1台を作ることも可能だったかもしれない。
1989年から1994年までの生産休止期間を除いて、この2ドア・クーペは6世代にわたって1969年から2007年まで生産され、

シボレー(1942年)
1942年モデルのシボレーは、基本的に1941年モデルと同一で、主な違いはグリルとフロントフェンダーのみだった。1942年1月1日以降に生産された車両は「ブラックアウト」モデルと呼ばれた。これは貴重な金属資源の不足を補うため、グリル、モールディング、ハブキャップがクロームメッキではなく塗装で仕上げられたためである。
その1か月後、戦争のため民間車生産は完全に停止した。組立ラインは自動車から戦車・航空機・爆弾へと転換され、米国とその同盟国が第二次世界大戦に勝利するための物資生産に充てられたのだ。同年のシボレーの生産台数はわずか25万4885台で、1941年の100万台以上から激減した。

フォード(1947年)
このオレンジ色の1947年モデルは、錆びたフォード車が並ぶ中でひときわ目立っていた。1947年モデルは前年モデルと類似しており、実際、当初はまったく同じだった。生産開始後になってフォードは改良を加え、グリル上部のパーキングライトを移動させ、外装モールディングを改めた。
カメラに最も近い車両が示すように、ボンネットオーナメントも新デザインとなった。創業者ヘンリー・フォードは1947年4月7日、83歳で死去した。



































