アリゾナの乾いた大地で見つけたクラシックな廃車 40選(後編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.10.19 11:45

ビュイック・エレクトラ(1966年)

この1966年式ビュイック・エレクトラ225コンバーチブルが、どのような状態でこの廃車置き場に運ばれてきたのか、そしてなぜレストア候補ではなく部品取り車と判断されたのか、知りたいものだ。非常に人気のあるモデルであり、わずか7175台しか生産されていないため、希少価値もある。

ビュイック・エレクトラ(1966年)
ビュイック・エレクトラ(1966年)

マーキュリー・マーキー・コロニーパーク(1971年)

1971年式マーキュリー・マーキー・コロニーパークのステーションワゴンが敷地の入口に置かれていた。誰かに見つけてもらい、購入され、修理され、かつての輝きを取り戻し、また家族旅行に連れて行ってもらうことを願っているようだった。

少々傷んではいるが、ホイールトリムを除けばほぼ完品だった。

マーキュリー・マーキー・コロニーパーク(1971年)
マーキュリー・マーキー・コロニーパーク(1971年)

ポンティアック・カタリナ(1971年)

デザート・バレー・オートパーツには、1971年式ポンティアック・カタリナ2ドア・ハードトップが2台あった。1台はレストア用、もう1台は部品取りだ。後者は間違いなく貴重なスペアパーツの供給源となっただろうが、残念ながらフロントガラスが割れていた。

ポンティアック・カタリナ(1971年)
ポンティアック・カタリナ(1971年)

クライスラー・タウン&カントリー(1968年)

1968年式クライスラー・タウン&カントリーのステーションワゴンには、標準装備としてウォールナット調のパネルが施されていた。クーペやコンバーチブルでは、同様の木目調パネルがオプションで選択可能だった。この個体の以前の所有者はおそらくフェイクの木目を好まなかったのだろう、手作業でピンク色に塗り替えている。

クライスラー・タウン&カントリー(1968年)
クライスラー・タウン&カントリー(1968年)

ダッジ・アスペン

青い1976年式ダッジ・アスペンのフロントガラスには3つの指示が書かれていた――「中身を片付けろ」、「良いものはトランクに取っておけ」、「ヤードに置け」。一体どんな「良いもの」があったのだろうか。車内を漁れば、きっと素晴らしい部品や小物を見つけられるに違いない。小銭もたくさん拾えるかもしれない。上の黄色のアスペンも1976年式と思われる。

ダッジ・アスペン
ダッジ・アスペン

ポンティアック・ファイヤーバード(1980年)

確証はないが、この2台のポンティアック・ファイヤーバードはどちらも1980年式だろう。下の個体の純正ワイヤーホイールカバーはきちんと残っている。同年、計10万7340台が生産された。

ポンティアック・ファイヤーバード(1980年)
ポンティアック・ファイヤーバード(1980年)

ビュイック・スカイラーク・スポーツワゴン(1968年)

車体のフロント部分がなくなっていることから、この1968年式ビュイック・スカイラーク・スポーツワゴンが再び走ることはないと断言できる。しかし、入手困難な貴重な部品がいくつか残っていた。後部座席上のサンルーフはとっくに取り外されていたが、荷室上部の高くなった部分のサイドウィンドウは無事だった。

1968年、同様の構造を持つオールズモビル・ビスタクルーザーが3万6143台販売されたのに対し、スポーツワゴンは約2万3000台にとどまった。

ビュイック・スカイラーク・スポーツワゴン(1968年)
ビュイック・スカイラーク・スポーツワゴン(1968年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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