アリゾナの乾いた大地で見つけたクラシックな廃車 40選(後編) ジャンクヤード探訪記
公開 : 2025.10.19 11:45
米国の巨大ジャンクヤードを巡り、スクラップ同然のクルマにレンズを向ける探訪記シリーズ。今回は、乾燥したアリゾナ州の気候と丁寧な在庫管理に守られ、意外にも良好な状態を保ったクラシックカーを紹介します。
もくじ
ーオールズモビル・デルタ(1973年)
ーポンティアック・カタリナ(1972年)
ーシボレー・エルカミーノ(1974年)
ーオールズモビル・スターファイア(1975年)
ーポンティアック・グランプリ(1971年)
ークライスラー・インペリアル(1974年)
ーキャデラック・エルドラド(1973年)
ーポンティアック・サンバード(1976年)
ークライスラー・インペリアル(1971年)
ーリンカーン・タウンカー(1976年)
ーフォード・サンダーバード(1964年)
ーフォード・マーベリック(1977年)
ービュイック・エレクトラ(1966年)
ーマーキュリー・マーキー・コロニーパーク(1971年)
ーポンティアック・カタリナ(1971年)
ークライスラー・タウン&カントリー(1968年)
ーダッジ・アスペン
ーポンティアック・ファイヤーバード(1980年)
ービュイック・スカイラーク・スポーツワゴン(1968年)
ークライスラー300(1966年)
ー著者について
オールズモビル・デルタ(1973年)
この1973年式オールズモビル・デルタ88のフロントフェンダーは、誰かが購入したようで、取り外しと発送を待っている状態だった。1973年、オールズモビルは92万2771台を販売し、2年連続でシボレー、フォードに次ぐ米国第3位の販売台数を記録した。
1983年(91万6583台)と1985年(117万台)には、オールズモビルはフォードを抜き第2位の座を獲得した。しかし、やがて業績は悪化し、2000年には年間25万台すら達成できなくなった。米国最古の自動車メーカーの1つであるオールズモビルは、2004年に廃業した。

ポンティアック・カタリナ(1972年)
デザート・バレー・オートパーツにはコンバーチブルが多数あり、このレストア用の1972年式ポンティアック・カタリナもその1つだった。構造的には問題なさそうだったが、復活させるにはかなりの費用が必要だろう。特に、内装は完全に交換しなければならない。

シボレー・エルカミーノ(1974年)
部品取りに選ばれた車両とは対照的に、この1974年式シボレー・エルカミーノは、そのまま走って持ち帰れそうな状態だった。4本のタイヤにまだ空気が残っていたことから、長期間放置されていたわけではなさそうだ。
クーペ・ユーティリティのエルカミーノは1959年に発売された。ライバル車であるフォード・ランチェロより2年遅れての登場だ。ただ、クーペ・ユーティリティ自体は1930年代初頭にはすでにオーストラリアで生産されていた。

オールズモビル・スターファイア(1975年)
1970年代のオールズモビル・スターファイアはごく少数しか存在せず、現在ではほぼ見かけなくなった。1975年から1980年にかけて生産されたが、シボレー・モンツァのバッジエンジニアリングに過ぎず、販売台数は少なかった(6年間で12万5188台)。

ポンティアック・グランプリ(1971年)
1971年には約5万8325台のグランプリがポンティアックのショールームで販売されたが、これは前年より数千台少ない数字だった。実際、第3世代(1969~1972年)の中で最も売れないモデルであった。グランプリの名は1962年から2008年までポンティアックで使われ続けた。

クライスラー・インペリアル(1974年)
誰が、なぜ、このクライスラーに額縁を立てかけ、インペリアルのエンブレムを縁取ったのかは分からない。1974年式の2ドア・ハードトップで、一見良好な状態に見えたが、レストア向けではなく部品取り車となっていた。確かに、カバー付きヘッドライトなど、使える部品は豊富に残っていた。
7.2L V8エンジンを搭載していたが、車重が2300kg近くあったため、0-100km/h加速には17秒以上かかった。






















