アリゾナの乾いた大地で見つけたクラシックな廃車 40選(後編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.10.19 11:45

米国の巨大ジャンクヤードを巡り、スクラップ同然のクルマにレンズを向ける探訪記シリーズ。今回は、乾燥したアリゾナ州の気候と丁寧な在庫管理に守られ、意外にも良好な状態を保ったクラシックカーを紹介します。

オールズモビル・デルタ(1973年)

この1973年式オールズモビル・デルタ88のフロントフェンダーは、誰かが購入したようで、取り外しと発送を待っている状態だった。1973年、オールズモビルは92万2771台を販売し、2年連続でシボレーフォードに次ぐ米国第3位の販売台数を記録した。

1983年(91万6583台)と1985年(117万台)には、オールズモビルはフォードを抜き第2位の座を獲得した。しかし、やがて業績は悪化し、2000年には年間25万台すら達成できなくなった。米国最古の自動車メーカーの1つであるオールズモビルは、2004年に廃業した。

オールズモビル・デルタ(1973年)
オールズモビル・デルタ(1973年)

ポンティアック・カタリナ(1972年)

デザート・バレー・オートパーツにはコンバーチブルが多数あり、このレストア用の1972年式ポンティアック・カタリナもその1つだった。構造的には問題なさそうだったが、復活させるにはかなりの費用が必要だろう。特に、内装は完全に交換しなければならない。

ポンティアック・カタリナ(1972年)
ポンティアック・カタリナ(1972年)

シボレー・エルカミーノ(1974年)

部品取りに選ばれた車両とは対照的に、この1974年式シボレー・エルカミーノは、そのまま走って持ち帰れそうな状態だった。4本のタイヤにまだ空気が残っていたことから、長期間放置されていたわけではなさそうだ。

クーペ・ユーティリティのエルカミーノは1959年に発売された。ライバル車であるフォード・ランチェロより2年遅れての登場だ。ただ、クーペ・ユーティリティ自体は1930年代初頭にはすでにオーストラリアで生産されていた。

シボレー・エルカミーノ(1974年)
シボレー・エルカミーノ(1974年)

オールズモビル・スターファイア(1975年)

1970年代のオールズモビル・スターファイアはごく少数しか存在せず、現在ではほぼ見かけなくなった。1975年から1980年にかけて生産されたが、シボレー・モンツァのバッジエンジニアリングに過ぎず、販売台数は少なかった(6年間で12万5188台)。

オールズモビル・スターファイア(1975年)
オールズモビル・スターファイア(1975年)

ポンティアック・グランプリ(1971年)

1971年には約5万8325台のグランプリがポンティアックのショールームで販売されたが、これは前年より数千台少ない数字だった。実際、第3世代(1969~1972年)の中で最も売れないモデルであった。グランプリの名は1962年から2008年までポンティアックで使われ続けた。

ポンティアック・グランプリ(1971年)
ポンティアック・グランプリ(1971年)

クライスラー・インペリアル(1974年)

誰が、なぜ、このクライスラーに額縁を立てかけ、インペリアルのエンブレムを縁取ったのかは分からない。1974年式の2ドア・ハードトップで、一見良好な状態に見えたが、レストア向けではなく部品取り車となっていた。確かに、カバー付きヘッドライトなど、使える部品は豊富に残っていた。

7.2L V8エンジンを搭載していたが、車重が2300kg近くあったため、0-100km/h加速には17秒以上かかった。

クライスラー・インペリアル(1974年)
クライスラー・インペリアル(1974年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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