英国へ来た281psの「サソリ」 アバルト600e(1) バンパー裏のスピーカーが放つ排気音

公開 : 2025.10.30 19:05

小柄で安価なフィアットが土台のアバルト600e リアバンパー裏のスピーカーから再生される排気音 深く愛されるエキゾチックな異端ブランド UK編集部が上陸を記念しサソリを探しに

グレートブリテン島にもいるサソリ

毒は弱いとか。暗闇でぼんやり発光するらしい。エウスコルピウスという名で、仲間の中では世界最小。欧州でも温かいギリシアやイタリアには、サソリが生息している。

約200年ほど前、輸入される花崗岩に紛れて、小さなサソリの群れはグレートブリテン島へ上陸。環境に馴染めたらしく、南東部のケント州の港に住み着いたそうだ。イタリア人の移民とともに。

アバルト600e スコルピオニッシマ(英国仕様)
アバルト600e スコルピオニッシマ(英国仕様)    サイモン・トンプソン(Simon Thompson)

どうしてこんな話から始めたかというと、まばゆいイエローのサソリ、アバルトがやって来たから。281psのパワーと、リミテッドスリップ・デフを携えて。

大人しいバッテリーEVばかりが増える中で、フィアット600eをベースに、いち早く誕生した刺激的なモデルといえる。ライバルには、フランスのアルピーヌA290が当てはまるだろう。もうじき、プジョーもE-208 GTiをリリースするらしい。

さそり座だった創業者のカルロ・アバルト

アバルトはイタリアで誕生したが、創業者のカルロ・アバルト氏はオーストリア生まれ。誕生日は11月15日で、さそり座だった。ちなみにアバルト600eは、ポーランドで製造されている。

カルロは、11歳の頃にはウィーンの裏路地をスクーターで走り回っていた。働くようになるとイタリアへ移住し、カスターニャ社へ就職。オートバイや自転車の設計に携わった。その後、オーストリアのバイクメーカー、モトール・トゥーン社へ移籍する。

アバルト600e スコルピオニッシマ(英国仕様)
アバルト600e スコルピオニッシマ(英国仕様)    サイモン・トンプソン(Simon Thompson)

そこで彼は、バイクレースへ挑戦。アバルトの名を掲げた、カスタムレーサーを自作している。ところがリンツで大きな事故を起こし、サイドカー付きのカテゴリーへ転向。より安定した移動手段を考えるようになり、自動車へ自然と導かれた。

伝説的な124アバルトや131アバルトを開発

アバルト&C社の創業は、1949年。チューニングパーツの提供で成長し、得意としたのが排気系のアップグレードだった。カルロが以前勤めていた、チシタリア社製スポーツカーによるレーシングチームも擁していた。

1950年代にフィアットとの関係性を深め、ヌォーヴァ500、チンクエチェントを改造してレースへ参戦。1971年にフィアットへ買収され、ファクトリー・レーシングチームの運営に携わっている。

アバルト600e スコルピオニッシマ(英国仕様)
アバルト600e スコルピオニッシマ(英国仕様)    サイモン・トンプソン(Simon Thompson)

戦いの場はラリーへ移り、伝説的な124アバルトや131アバルトなどを開発。しかし、アバルトはランチアのモータースポーツ部門と合併。1980年代初頭には、事業自体は解散に追い込まれた。

アバルトの名前が本格的に復活したのは、2007年。フィアット・グランデ・プントの高性能仕様を皮切りに、同年に復活した500へ展開。アバルト595や695へ進化した。

記事に関わった人々

  • 執筆

    フェリックス・ペイジ

    Felix Page

    役職:副編集長
    AUTOCARの若手の副編集長で、大学卒業後、2018年にAUTOCARの一員となる。ウェブサイトの見出し作成や自動車メーカー経営陣へのインタビュー、新型車の試乗などと同様に、印刷所への入稿に頭を悩ませている。これまで運転した中で最高のクルマは、良心的な価格設定のダチア・ジョガー。ただ、今後の人生で1台しか乗れないとしたら、BMW M3ツーリングを選ぶ。
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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