あのスバル軽自動車も 史上最も希少な量産モデル 21選(後編) ジープからフォルクスワーゲンまでメーカー別
公開 : 2025.12.27 11:45
トヨタ:BXD20 メガクルーザー(生産台数149台、1996-2001年)
1996年から2001年までのトヨタ・メガクルーザーの生産台数については、意見が分かれている。大半の資料では149台という数字を引用しているが、151台や132台が正しいとする資料もある。確かなのは、日本の自衛隊向けに開発された車両の民生版で、ホンダNSXと同等の価格で販売されていたことだ。生産台数が極めて少なかった理由の1つだろう。

ボルボ:P1900(生産台数67台、1956-1957年)
ボルボ初のスポーツカーであるP1900は、あまりにも大失敗に終わったため、これが「最初で最後」にならなかったことに正直驚かされる。当時のCEOアッサール・ガブリエルソン(1891-1962年)が1953年に米国を訪問した際、グラスファイバーボディ車の人気に気付いたことから開発が決まった。カリフォルニア州のグラスパー社がP1900のボディ設計を支援し、生産技術も伝授したと伝えられている。
グラスファイバーの成形には膨大なコストがかかり、また母国スウェーデンでは2人乗りロードスターへの関心も低かった。オープンカーで風を感じながら走るというコンセプトは、アビスコよりもハリウッドの方が適していただろう。結果として、P1900は67台しか販売できなかった。後継車であるP1800にはオープンモデルは存在しない。

フォルクスワーゲン:カントリーバギー(生産台数1956台、1967-1968年)
フォルクスワーゲンは定義上、大衆向けの量産車メーカーである。同社のモデルのほとんどは数十万から数百万台単位で生産されるが、ごく稀に例外も存在する。
その1つが、オーストラリア部門が開発したビートルベースのオープントップモデル、カントリーバギーだ。どこかキューベルワーゲンを思わせる外観である。主に農民、サーファー、軍の兵士などをターゲットに、アウトバックと呼ばれるオーストラリア内陸部に適した車両を開発するというコンセプトだった。水陸両用化も目指したが、ドイツ本社がコスト抑制のため却下した。カントリーバギーはわずか1956台生産された後、廃止となった。

その他、生産台数の少ないフォルクスワーゲンのモデルとしては、小型バンのタイプ147(約6100台)、ブラジルで販売されたSP2(約1万1000台)、そして驚くほどシンプルな造りのEA489(約2600台生産)などがある。




































