フォードGT40に抜かれた過去 ル・マン仕様のミニ・マーコス(2) 9年費やしレストア オーナーが抱く不思議な気持ち

公開 : 2026.04.12 17:50

1966年のル・マン24時間レースを完走した、「青いノミ」と呼ばれたミニ・マーコス。半世紀に及ぶ行方不明を経て発見され、当時の姿で復元されました。UK編集部が無二の物語をご紹介します。

目指したのは1966年のル・マン仕様の再現

果たして、オランダへ運ばれたミニ・マーコスだが、ジェローン・ブーイ氏はレストアする技術を有していなかった。細部まで仕上げるのに充分な、予算も確保できていなかった。だが長い時間をかけ、自ら部品を手配することで、仕上げられると考えた。

彼が目指したのは、1966年のル・マン仕様を可能な限り再現すること。近年のFIAが定める参戦基準を満たしたミニ・マーコスは複数あるが、唯一の存在が目指された。

ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年)
ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

ボディシェルの修復は、英国の専門業者の見積もりが予想より高かった。そこで、ポルトガルに眠っている情報を提供した、ヨースト・ファン・ディーン氏へ作業が頼まれた。リアフェンダーは作り直され、加工されていたフロント周りは復元された。

作業で重要な役割を果たしたのが、マーコス仲間のゲイリー・マーロウ氏。二重フロアで半一体型のロールケージ構造を持つ、オリジナルのボディシェルを所有していたのだ。

燃料キャップはフェラーリ250GT SWB用

フロントノーズには、1966年と同様に139個の丸い穴が開けられた。これは、正面を向いたラジエターを冷やすためのインテーク。本来のサイドマウント・ラジエターと、2基備わっていた。

そのラジエターは、当時の部品を発見できた。1970年代前半に、このミニ・マーコスでヒルクライムレースへ挑んでいたホセ・アルベルティーニ氏が、ホイールや4速MTと一緒に保管していたらしい。坂道でのレースには不向きで、取り外していたという。

ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年)
ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

本来のエンジンは失われていたが、アルベルティーニの倉庫には、BMCのワークス用部品が幾つか残されていた。そこで、南フランスにある専門ガレージ、ミニ・ワールド・センター社によって、クーパーS用のAシリーズ・ユニットが忠実に組み上げられた。

解明に数年が費やされた燃料キャップは、フェラーリ250GT SWBのものだと判明。消耗品ではなく、在庫部品は見つからなかったが、知人を通じて譲ってくれる人が現れた。ミニ・マーコスに組まれる中で、最も高価なアイテムの1つとして。

凄まじい轟音で周囲を震わせるAシリーズ

ル・マン仕様のミニ・マーコスが完成したのは、ほぼ9年が経過した2025年の夏。ただし、オリジナルと違う部分が2つある。リアウインドウは、本来は緩くカーブを描いていたが、コストを抑えるためフラットに。マフラーには、サイレンサーが追加された。

「初めてエンジンを掛けた時、飛行機より轟音だったんです。とても運転できるモノじゃありませんでした」。とブーイが笑う。それでもなお、車重500kgの小柄なボディに載る4気筒Aシリーズ・ユニットは、始動直後から凄まじい轟音で周囲を震わせる。

ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年)
ミニ・マーコス・ル・マン仕様(1966年)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

殆どむき出しのキャビンでは、FRPが音を反響させ、一層うるさい。走り出すと、4速MTで回るストレートカット・ギアの唸りが、エンジン音をかき消す。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ル・マン仕様のミニ・マーコスの前後関係

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