行方不明だった「青いノミ」 ル・マン仕様のミニ・マーコス(1) 90馬力エンジンはクーパーS用
公開 : 2026.04.12 17:45
1966年のル・マン24時間レースを完走した、「青いノミ」と呼ばれたミニ・マーコス。半世紀に及ぶ行方不明を経て発見され、当時の姿で復元されました。UK編集部が無二の物語をご紹介します。
ル・マン24時間レースを完走した「青いノミ」
「ギア比が長すぎて、加速しませんよ」。ミニ用4速MTのリビルドを頼まれた、専門家は口にした。「大丈夫。走った過去があります」。とジェローン・ブーイ氏は答えた。
そうして、ル・マン24時間レースを完走した唯一のBMCミニ、というべきか、その派生モデルは復元された。通称、「青いノミ」だ。

1965年9月25日にお披露目されたミニ・マーコスは、前日に完成したばかりの、少しブサイクなFRP製モノコックボディをまとっていた。パワートレインはミニ由来の1293ccで、前輪駆動。速そうには見えなかったが、雨のデビュー戦で大勝している。
その翌年、マーコス創業者のジェム・マーシュ氏は、ミニのアフターマーケット・ダッシュボードを製造するビリー・ダレス氏と出会う。彼は、マーコスでル・マン参戦を考えていたフランス人ラリードライバー、ジャン・ルイ・マルナ氏と取引があった。
ラリー仕様のクーパーSへ準じたエンジン
当時ル・マンを主催していたフランス西部自動車クラブ(ACO)は、自国のマシンが有利になるよう、エントリー審査やレギュレーション変更をすることが少なくなかった。マーシュは、フランス人ドライバーがいるチームの方が望ましいと、理解していた。
予定通り、マルナはエントリーが認められ、マーシュはミニ・マーコスのボディシェルを提供。技術者のジャン・クロード・フルボン氏が、クーパーSのワークス仕様パワートレインを利用し、レーシング・マーコスの製作を始めた。

標準仕様のシェルは、ミニのサブフレームをFRPで繋いだ簡素な構成で、タイヤが外れた衝撃でバラバラになるほど強度が不充分だった。だが届けられたのはモータースポーツ用の強化品で、フロアは二重構造。軽い木材、バルサ材が挟まれていた。
SUキャブレターが2基載った約90psのAシリーズ・ユニットは、ラリー・モンテカルロへ挑んだクーパーSへ準じた。ただし、ファイナル比は2.49:1へ伸ばされ、190km/h以上の最高速度が狙われた。燃料タンクは、耐久戦に備え80Lへ拡大された。
サバイバルレースで最下位ながら完走
1966年6月に、ル・マンへ向かったチームクルーは4名のみ。ドライバーのマルナと、メカニックのフルボンの他、コドライバーはクロード・バロット・レナ氏。チームの代表としてマシン製作を支援し、資金を提供したユベール・ジロー氏も名を連ねた。
サルト・サーキットでは、特徴的なブルーのマーコスは人気者に。ストレートでの遅さから、観衆の応援を集めたようだ。

フェラーリとフォードが熾烈なバトルを展開する傍らで、青いノミというあだ名を得たミニ・マーコスは周回を重ねた。24時間後、表彰台を独占したのはフォードGT40 MkII。完走15台というサバイバルレースで、最下位ながら258周で完走している。
1966年のル・マンを走りきった唯一の英国車として、当初は難色を示していたBMC側は、パワートレインの耐久性を誇示する材料に。その後、青いミニ・マーコスはモンツァ1000kmやパリ1000kmなど、9年に渡り多くのレースへ挑んでいる。







































































































































