近年フェラーリ変革を象徴する存在、エンリコ・ガリエラ(前編)突然届いた退職の知らせ【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #7】

公開 : 2026.06.30 11:45

ポジティブに乗り越えた者だけが手に入れられる

がっしりとした長躯。私が調べた限りでは今年60歳を迎えたはずだが、無駄な脂肪はほとんどついていない。ただし、無理してダイエットした様子も見受けられない。多少の節制はしていても、それ以上に、普段から身体を動かすことが好きなタイプであることが、その外観からはっきりと見て取れる体型だ。

もうひとつ特徴的なのは、その笑顔である。まるで無邪気な少年の心を持ったまま半世紀近い年月を過ごしてしまったかのように思える笑顔の裏には、もちろん長いキャリアの間に体験した様々な困難や落胆の跡も潜んでいるはずだが、彼の爽やかな表情からはそういったネガティブな過去の影響が全くといっていいくらい認められない。

2010年に就任する前は、パスタで有名なバリラに所属していた異色の経歴を持つ。
2010年に就任する前は、パスタで有名なバリラに所属していた異色の経歴を持つ。    平井大介

それは、数々の苦難を逃げることなく真正面から受けとめ、ポジティブに乗り越えてきた者だけが手に入れられる表情といっていいだろう。

異色の経歴の持ち主でもある。2010年にフェラーリのチーフ・マーケティング&コマーシャル・オフィサーに就任する以前は、バリラで20年間にわたり営業やマーケティング畑を歩んできた。そう、あのパスタで有名なバリラである。

言うまでもなく『自動車産業とは全く無関係』と思える企業だが、創業家の直系で現在バリラ・ホールディングのディレクターを務めるパオロ・バリラが日本でも活躍したことのある元レーシングドライバーだったと聞けば、バリラ家とフェラーリの間にもなんらかの関係があったと見るのが自然だろう。

「1パック50セントの製品を売るビジネスから、少なくとも1台20万ユーロする製品を扱うようになりました」。およそ10年前、ガリエラはドライブというオーストラリア・メディアとのインタビューでそう語っている。

*近年フェラーリ変革を象徴する存在、エンリコ・ガリエラ(後編)へ続きます。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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