かつてはハリウッド・セレブ御用達 デュアル・ギア(1) 量産見送ったクライスラーと試作車救ったトラックメーカー

公開 : 2026.07.25 17:45

天才的な才能を持っていた技術者のファラゴ

「あらゆる機械的な工作作業で、天才的な才能を持っていました。フェラーリを分解し、より優れた状態で組み上げることもできたほど」と、エクスナーの息子、ヴァージル・エクスナー・ジュニア氏はファラゴに対して回想している。

だが1955年のスイスで発表された試作車、デュアル・モーターズ・ファイアボムは、ギア社が単独で製作していた。大きなトランクを得ていたものの、評判は優れなかった。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)
デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

ファラゴの意見によると、全幅が狭すぎて走りは安定せず、ドアも閉まりにくかったらしい。そこで、カサロールは彼をデュアル・モーターズの副社長へ任命。問題を解決するため、イタリアへ派遣した。

ギア社の技術者と協力したファラゴは、全幅を広げ安定性を向上。1955年式ダッジのフロントガラスを利用できるようボディも改良し、金型へ必要な予算を削り、北米の安全基準への対応も容易にした。サイドシルは再設計され、ボディ剛性が高められた。

ボンネット内に収まった233psの5.2L V8

クロームメッキのバンパーは、既存品を加工して利用。リアフェンダーには、当時流行りだったテールフィンが追加されたが、これはカサロールの強い要望だったという。

ボンネット内に収まったのは、ダッジから届けられた5.2L V8エンジン。最高出力は標準では233psだったが、263psの高性能なD-500仕様も設定され、約半数はこちらが選ばれている。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)
デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

トランスミッションは、クライスラーの2速ATのみ。パーキングを選ばずにエンジンを始動できるクライスラーの設計は、後に問題視されたが。

この続きは、デュアル・ギア(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジュリアン・バルメ

    Julian Balme

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

デュアル・ギアの前後関係

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