映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のスポーツカーから、いすゞの名車まで 惜しくもヒットを逃したクルマ50選(中編)

公開 : 2026.11.03 11:25

大成功を収めるチャンスがあったにもかかわらず、さまざまな理由から機を逃してしまったクルマを50台紹介します。技術力の不足、斬新すぎるデザインなど、時代が違っていれば歴史的な名車になり得たかもしれません。

ブリックリンSV-1(1974年)

1970年代初頭、政府や消費者にとって自動車の安全性はますます重要になってきていた。そのため、マルコム・ブリックリン氏が超安全なスポーツカーを作るというアイデアを思いついたときも、成功を確信していた。

しかし、ガルウィングを備えたプラスチック製ボディは製造上の欠陥が多すぎたため、このSV1はわずか1年で生産中止となった。生産台数はわずか3000台にとどまったが、ブリックリン氏はその10倍の台数を予測していた。

ブリックリンSV-1(1974年)
ブリックリンSV-1(1974年)

AMCペーサー(1975年)

1970年代の石油危機を受け、米国の大手自動車メーカー各社は、維持費の安い小型モデルを相次いで導入した。AMCもペーサーを発売したが、実際にはそれほど小さくはなく、エンジンは最小でも3.8Lの直列6気筒だった。

見事に不格好なスタイリングと、制御の難しい走行性能が相まって、米国の『Motor』誌が試乗した後、「ペーサーをテストしたけど、やめておけばよかった(We test the Pacer-and wish we hadn’t)」という見出しを表紙に掲げた。無理もない。

AMCペーサー(1975年)
AMCペーサー(1975年)

AC 3000ME(1979年)

理論上は、開発期間が長ければ長いほど優れたクルマになるはずだが、1970年代の大半をかけて開発が進められたAC 3000MEの場合はそうではなかった。

3000MEは、デザイナーのピーター・ボハナ氏とロビン・ステイブルズ氏の手によって設計され、1973年に「ボハナ&ステイブルズ・ディアブロ」というコンセプトカーとして初公開された。プラスチック製ボディの2シーター・スポーツカーで、手頃な価格でパワフルかつ俊敏な走りを実現することを目指していた。しかし、1979年に量産モデルとして登場した頃には、それほど速くもなく、特にパワフルでもなかった。その上、コストは膨れ上がり、手が出ないほど高価なものとなっていた。

AC 3000ME(1979年)
AC 3000ME(1979年)

ローバーSD1(1976年)

同じく1970年代の産物であるローバーSD1は、1977年に欧州カー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。流線型のスタイリングを採用した、大型で豪華な5ドア・ハッチバックで、あらゆるライバルを打ち負かす可能性を秘めていた。

しかし、ブリティッシュ・レイランドの他のクルマと同様、SD1の組み立てに携わっていた工場の従業員たちは会社に対し不満を抱いていた。彼らはしばしばサボタージュを起こすことを楽しんでいるようだった。

ローバーSD1(1976年)
ローバーSD1(1976年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の英国の自動車雑誌『AUTOCAR』(1895年創刊)。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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