映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のスポーツカーから、いすゞの名車まで 惜しくもヒットを逃したクルマ50選(中編)

公開 : 2026.11.03 11:25

アストン マーティン・ラゴンダ(1976年)

この記事は全体的に、「大きなチャンスを逃した」という前提で書かれているが、実際にこのクルマにチャンスがあったかどうかは疑問である。

アストン マーティンは、内外装ともに未来的なデザインを施した高級セダンに需要があると見込んでいた。最先端のデジタルダッシュボードと、各種システムを制御する数多くの電子機器を備えたラゴンダを考案した。しかし、残念ながら当時の技術力では不十分で、購入者は気まぐれで癇癪を起こすようなクルマを手にする羽目になった。

アストン マーティン・ラゴンダ(1976年)
アストン マーティン・ラゴンダ(1976年)

ルノー14(1976年)

1970年代の欧州では、精彩を欠くファミリーカーが数多く生み出されていた。中でも最も期待外れだったのがルノー14だ。10年以上前に登場した傑作ルノー16の後継モデルとして登場したにもかかわらず、個性のないスタイリング、粗悪な造り、平凡な走行性能により、人々を魅了することはできなかった。

奇妙なことに、ルノー14のホイールベースは左右で長さが約32mm異なる。これは、リアサスペンションのトーションバーを前後にずらして配置し、等長のトレーリングアームを備えているためだ。

ルノー14(1976年)
ルノー14(1976年)

GMのディーゼル車(1978年)

米国ではディーゼル車の販売が難しいが、その理由の一部は1970年代後半のGMによる不運な失敗にある。燃料価格の高騰にあえぐ中、GMはより経済的な高級車として、ビュイック、キャデラック、シボレー、オールズモビル(写真)、ポンティアックなど、多くのブランドに5.7L V8ディーゼルエンジンのオプションを導入した。

しかし、このディーゼルエンジンには不適切なシリンダーヘッドボルトが使用されており、これが伸びてしまったため燃焼室に水が浸入し、ヘッドガスケットやコンロッドの破損を引き起こした。保証請求が殺到し、多くの米国の消費者は長年にわたりディーゼル車に敬遠するようになった。米国で次にディーゼル車を大々的に推進したのは、約30年後のフォルクスワーゲンだが、その結果は周知の通りだ……。

GMのディーゼル車(1978年)
GMのディーゼル車(1978年)

キャデラック・セビル(1979年)

GMは、メルセデス・ベンツやBMWといった高級輸入車に対抗するため、キャデラックに期待を寄せていた。しかし、米国でも欧州でも、自動車デザインは1970年代を通して低迷期を迎えていた。米国でその傾向が最も顕著だったのは、まるで後方から追突されたかのような外観のキャデラック・セビルだ。不自然なプロポーションとけばけばしいインテリアが相まって、大事な顧客を欧州の輸入車に奪われることになってしまった。

キャデラック・セビル(1979年)
キャデラック・セビル(1979年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の英国の自動車雑誌『AUTOCAR』(1895年創刊)。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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