時代が違えば売れていた? 惜しくもヒットを逃したクルマ50選(前編) ランドローバーの対抗馬から、名ばかりのマッスルカーまで

公開 : 2026.11.03 11:05

大成功を収めるチャンスがあったにもかかわらず、さまざまな理由から機を逃してしまったクルマを50台紹介します。技術力の不足、斬新すぎるデザインなど、時代が違っていれば歴史的な名車になり得たかもしれません。

歴史的な名車になり得たかもしれない

新しいクルマが誕生するたびに、自動車業界をより良い方向へ導くチャンスが生まれる。しかし、時には自動車メーカーが、さまざまな理由であまりにも期待外れなクルマを発売してしまうこともある。

なぜこれが取締役会で承認されたのか、不思議に思わされることもしばしばだ。本来なら優れたクルマを作り出せたはずなのに、せっかくのチャンスを活かしきれずに終わってしまったのだ。技術力や世間のトレンドなど、時代が違えば大ヒットしていた可能性もある。有名な例をいくつか見てみよう。

さまざまな理由からチャンスを逃してしまったクルマを50台紹介する。
さまざまな理由からチャンスを逃してしまったクルマを50台紹介する。

タッカー48(1948年)

プレストン・タッカー氏(1903-1956)は、「トーピード」とも呼ばれるタッカー48で自動車業界の常識に挑戦した、先見の明を持つ人物だ。彼は革新的なスタイリングと安全機能、高級感と性能を兼ね備えたクルマを夢見ていた。

彼は出資者からの支持を得たが、詐欺容疑で法廷に引っ張り出されたことでプロジェクトへの信頼が失われた。やがて資金が枯渇し、わずか50台を完成させたところで会社は倒産した。現存するタッカー48は今日、非常に高価となっている。

タッカー48(1948年)
タッカー48(1948年)

ナッシュ・メトロポリタン(1953年)

大西洋を挟んだ北米大陸と欧州大陸の両方で、ナッシュまたはオースチンのブランドから販売されたメトロポリタン。開発構想としては、オースチンA40の走行装置を用いたエコノミーカーを作るというものだった。

その結果生まれたメトロポリタンは、今見れば愛らしいが、当時は平坦な側面デザイン、窮屈な室内空間、そして狭いトレッドと短いホイールベースによる劣悪なハンドリング性能で、なんとも滑稽な印象を与えてしまった。購入者は安さを求めていたが、粗悪なクルマは望んでいなかったのだ。

ナッシュ・メトロポリタン(1953年)
ナッシュ・メトロポリタン(1953年)

オースチン・ジプシー(1958年)

1950年代、ランドローバーは英国における四輪駆動車市場をほぼ独占し、大成功を収めていた。オースチンもその一角を狙い、対抗馬としてジプシーを投入したが、ライバルとは異なり、錆びやすいスチール製のボディが弱点となった。

設計の拙いサスペンションも故障しやすく、ジプシーの走破性能は高かったものの、長く走り続けることはできなかった。

オースチン・ジプシー(1958年)
オースチン・ジプシー(1958年)

フォード・エドセル(1957年)

おそらく自動車史上最大の判断ミスと言えるだろう。フォードは、創業者ヘンリー・フォード氏の息子にちなんで名付けられた新ブランド「エドセル」を立ち上げた。開発に3億ドルを投じたが、スタイリングで致命的な誤りを犯してしまったのだ。

また、エドセルの発売は不況の幕開けとも重なった。米国の戦後長期にわたる好景気がついに終焉を迎えたのだ。消費者はエドセルに期待を寄せていたが、実質的には「マーキュリーの焼き直し」に過ぎず、期待を裏切られることになった。

フォード・エドセル(1957年)
フォード・エドセル(1957年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の英国の自動車雑誌『AUTOCAR』(1895年創刊)。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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