フェラーリやランボルギーニに挑んだスーパーカーから、当時最も遅かった日産ミニバンまで 惜しくもヒットを逃したクルマ50選(後編)

公開 : 2026.11.03 11:45

大成功を収めるチャンスがあったにもかかわらず、さまざまな理由から機を逃してしまったクルマを50台紹介します。技術力の不足、斬新すぎるデザインなど、時代が違っていれば歴史的な名車になり得たかもしれません。

アウディV8(1988年)

アウディはそれまでも魅力的なセダンを展開してきたが、V8では新たな領域、すなわちラグジュアリーカーへの進出を試みた。高いハードルを乗り越えるため、アウディはV8エンジンを新規で開発し、それを車名に冠した。

アウディとして初めてクワトロ四輪駆動システムとオートマティック・トランスミッションを組み合わせたV8は、高性能でゴージャス、そして美しく造られていたが、市場に大きなインパクトを与えることはできなかった。しかし、現在に続くA8の礎を築いた1台と言えるだろう。

アウディV8(1988年)
アウディV8(1988年)

イーグル・プレミア(1988年)

ダッジ・モナコとしても販売されたイーグル・プレミアは、AMCがクライスラーに買収された後、AMCとルノーの合弁事業によって生まれたものだ。クライスラーは新ブランド「イーグル」を立ち上げたが、その最初の製品の1つが、ルノー25をベースにしたプレミアである。

味気ない外観、刺激に欠ける走り、平凡な造り、そして精彩を欠くパフォーマンスなど、全体的に魅力に乏しく、実際に購入した人もほとんどいなかった。

イーグル・プレミア(1988年)
イーグル・プレミア(1988年)

フォード・エスコート(1990年)

それまでの欧州仕様のエスコートは、手頃な価格で十分な性能を持ち、英国をはじめとする多くの欧州諸国で頻繁に販売ランキングのトップに立っていた。したがって、新型にはさらに良い成果が期待されていた。

しかし、1990年に第5世代エスコートが登場すると、AUTOCARを含め、各方面から一斉に酷評された。先代モデルに比べて個性がなく、運転の楽しさも乏しく、価格が高すぎる上、装備も貧弱だった。フォードは開発に10億ドルを費やしたと言われているが、その使い道がどうだったのかは定かではない。

フォード・エスコート(1990年)
フォード・エスコート(1990年)

それから2年以内にマイナーチェンジが実施され、1995年には第6世代へと切り替わったが、評判の回復は難しかった。痛手を負ったフォードは、1993年のモンデオ発売で巻き返しを図り、さらに1998年にはエスコートに代わる小型ファミリーカーとしてフォーカスを投入した。

ベクターW8(1990年)

オラチオ・パガーニ氏とクリスチャン・フォン・ケーニグセグ氏は、何もないところからでも大手メーカーと対等に渡り合えることを証明した。しかし、ジェリー・ウィーガート氏は自身の会社ベクター・エアロモーティブでフェラーリやランボルギーニに挑もうとしたが、成功とは程遠い結果となった。

開発は1978年に始まったが、実を結んだのは1990年になってからだった。その頃には世の中の潮流は変わっていたが、彼はそれでも40万ドルのスーパーカー、W8を17台販売した。その外観は圧巻だが、信頼性に欠けていた。

ベクターW8(1990年)
ベクターW8(1990年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の英国の自動車雑誌『AUTOCAR』(1895年創刊)。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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