映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のスポーツカーから、いすゞの名車まで 惜しくもヒットを逃したクルマ50選(中編)

公開 : 2026.11.03 11:25

デロリアン(1981年)

前述したマルコム・ブリックリン氏と同じような失敗談だ。大手メーカーに挑み、業界の常識を覆すべく設計されたガルウィングのスポーツカーである。しかし、その造りは信じられないほど粗悪で、スピードもさほど出ず、ハンドリング性能も悪かった。

生産は2年も経たないうちに終了した。発売当初は失敗作だったにもかかわらず、デロリアン(写真は創業者ジョン・デロリアン氏とともに写っている)は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのおかげでその知名度が高まったこともあり、今や非常に人気のあるコレクターズアイテムとなっている。

デロリアン(1981年)
デロリアン(1981年)

タルボット・タゴーラ(1981年)

タルボット・タゴーラほど個性のないスタイリングのクルマも珍しいだろう。量産段階に到達する前に打ち切られるべきだった。プジョーがクライスラー・ヨーロッパを買収した際、ほぼ完成していたタゴーラのプロジェクトも引き継がれた。

プジョーには当時、十分に優れた505があり、両車が競合関係にあったにもかかわらず、タゴーラの量産化は止まらなかった。しかし、タゴーラは走行性能も組み立て品質も劣っており、そのため年間で2万台未満しか売れなかった。現在、英国の公道で走っているのはたった1台だけだ……。

タルボット・タゴーラ(1981年)
タルボット・タゴーラ(1981年)

クライスラーEクラス(1982年)

クライスラーEクラスは、上位モデルのニューヨーカーを欲しがりながらも予算が足りない低所得層をターゲットにしたクルマだ。この安価なセダンはありふれたデザインそのものであり、精彩を欠く4気筒エンジンを搭載している。発売からわずか2年で販売不振により生産中止となり、Eクラスは後継のカラベルへと置き換えられたが、こちらも同様に不人気だった。

クライスラーEクラス(1982年)
クライスラーEクラス(1982年)

キャデラック・シマロン(1982年)

BMWなどの欧州製小型高級車に対抗するため、GMはシボレー・キャバリエのキャデラック版を投入するのが最善策だと判断した。

しかし、標準装備を少し増やして価格を倍にするという戦略は賢明とは言えなかった。当然のことながら、買い手は敬遠した。何と言っても、割安のシボレー版でさえ、キャバリエは決して優れたクルマではなかったからだ。

キャデラック・シマロン(1982年)
キャデラック・シマロン(1982年)

リライアント・シミターSS1(1984年)

1980年から1981年にかけてMGBとトライアンフ・スピットファイアの生産が終了すると、手頃な価格の英国製スポーツカーは絶滅したかに思われた。そこでリライアントが、ミケロッティ設計のSS1を投入した。運転が楽しく、十分に速く、かつ低価格であるという触れ込みで、紙の上では素晴らしい計画だった。

残念ながら、そのデザインは賛否両論を呼んだ上、わずか96psの1.6Lエンジンを搭載しているため加速も鈍かった。1990年にターボチャージャー付き1.8Lモデルが導入され、スタイリングも刷新されたことで状況は多少改善されたが、その頃にはすでにマツダMX-5(日本名:ロードスター)が登場し、市場を席巻していた。10年間で生産されたSS1はわずか1507台だった。

リライアント・シミターSS1(1984年)
リライアント・シミターSS1(1984年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の英国の自動車雑誌『AUTOCAR』(1895年創刊)。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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