ベントレーのオープンホイール・レーサー 親子で仕上げたT1プロトタイプ・シャシー 前編

公開 : 2022.05.29 07:05

シルバーシャドウ・スペシャル・シャシー-2

ダンロップのレーシング・タイヤは数周走ると温まり、一層操縦性が高まる。ペースを速めると、巨大なケータハム・セブンのような雰囲気があることに気づいた。1960年代のF1マシンが履いていた、ウェットタイヤならより近いだろう。

しかし決定的な違いがある。ボディが明らかに大きく、長いフロントノーズがそれを強調している。ベンによると、全長と全幅は古いインディマシンと変わらないそうだが、コンパクトには感じられない。

ベントレーT1シャシー・スペシャル・レーサー(1976年)
ベントレーT1シャシー・スペシャル・レーサー(1976年)

大柄な理由を探ると、SSSC-2というシャシー番号に辿り着く。シルバーシャドウ・スペシャル・シャシー-2の頭文字を取ったものだ。

このTタイプ・スペシャルを作ろうと考えたのは、ベントレー・ドライバーズ・クラブに属していたバリントン・イースティック氏。1970年代初頭、自身のベントレーMk VI スペシャルのほかに、何か手を加えるクルマがないか探していたという。

そんな時、ロールス・ロイス・シルバーシャドウとベントレーT1用のプロトタイプ・シャシーが、プロモーションの一環として2台作られたことを知る。モノコック構造に独立懸架式サスペンション、ディスクブレーキを備えていた。

驚くことに、彼はその1台を譲ってもらえないか尋ねたらしい。そして、答えはイエスだった。

ロールス・ロイスの当時のマーケティング・ディレクター、ジョン・クレイグ氏を通じ、会長のデイビット・プラストフ氏も承認。1100ポンドで、バリントンはアルミニウム製6.2L V8エンジンを含む、ベントレーT1用シャシーのオーナーとなった。

レーシングカー・コンストラクターの元へ

プロトタイプ・シャシーを手にした彼は、どうクルマを仕上げるか悩んだ。当初は、コーチビルダーのアラン・パジェット氏へ意見を仰いだが、彼のアイデアの実現には予算的にも技術的にも難しいことがわかった。

そこで、レーシングカーのコンストラクターで名を馳せていた、リンカー・エンジニアリング社へ相談。バリントンがロンドンの西、スラウの街で経営する砂糖工場の裏手にあり、ローラGTやGT40が組み立てられる様子を目にしていたという。

ベントレーT1シャシー・スペシャル・レーサーの製作時の様子
ベントレーT1シャシー・スペシャル・レーサーの製作時の様子

リンカー社へ届けられたプロトタイプ・シャシーは、フロントとリアのサブフレームが除去。ボックスセクションのスペースフレーム構造となるよう、置き換えられた。

サスペンションも、セルフレベリング機能付きのストラット式から変更。フロントがダブルウイッシュボーン式でリアがトレーリングアーム式になり、コイルオーバー・ショックが組まれた。

ブレーキディスクとキャリパーは残されたが、高油圧システムではなく、一般的な前後に分かれた2重回路システムへ変更。マスターシリンダーを介して、前後のバランスを調整することが可能となった。ハンドブレーキと、クラクションも残されている。

V8エンジンには、バリントンも愛したベントレー・ブロワーの精神を受け継ぎ、スーパーチャージャーが組まれた。息子のベンが振り返る。「彼はベーン式のブロワーを組みたかったようですが」

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ポール・ハーディマン

    Paul Hardiman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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