自動車メーカーを危機から救ったクルマ 38選 後編 これがなければ潰れていたかも?

公開 : 2023.01.14 19:05

ランボルギーニガヤルド(2003年)

ランボルギーニの販売台数は数百台を数える程度だったため、ガヤルドのヒットは衝撃的なものであった。新しい親会社のアウディは、ランボルギーニにこれまで以上の活躍を期待したため、ガヤルドの肩には多くのものがのしかかっていた。

最高出力500psのV10エンジン、四輪駆動、快適性といったさまざまな要素が組み合わさり、フェラーリポルシェに勝負を挑んだ。結果として、記録的な数の顧客がランボルギーニを選ぶことになる。ガヤルドの販売台数は1万4022台となり、ランボルギーニの経営は安定したものとなった。

ランボルギーニ・ガヤルド(2003年)
ランボルギーニ・ガヤルド(2003年)

フィアット500(2007年)

小型車が命のフィアットは、2000年代半ばにライバルに押され、苦戦を強いられていた。そこで2007年、フィアットはミニに代表されるレトロデザインの流れに乗り、とてもキュートな新型500を発表する。新型500は、1950年代の500の精神を完璧に受け継ぎながら、無限に近いパーソナライズオプションを用意している。

コンバーチブルやアバルトをラインナップに加えることで、その魅力はさらに増し、基本デザインは現在も継続して生産されている。わずか4年で100万台が生産され、現在の累計は約250万台に上る。フィアットはしばらく、このイタリアンな500のほぼすべてが、実はポーランドかメキシコで製造されていることを内緒にしていた。

フィアット500(2007年)
フィアット500(2007年)

ジャガーXF(2007年)

2007年の鐘が鳴る頃、ジャガーの車種はレトロスタイルの快適なクルマから、大胆な新時代へ移行しようとしていた。同年のデトロイト・モーターショーで発表された新型XFは、ジャガーがアウディ、BMWメルセデス・ベンツと競合していくためには、どうしても必要な出発点であった。

内外装をあるべき姿に一新し、2012年にはステーションワゴンモデルを追加してラインナップを充実させた。この賭けは功を奏し、ジャガーの販売台数は劇的に増加。2015年に2代目が登場するまで、25万台以上が販売されている。また、XFはその後のXJなどへの道筋をつけた。

ジャガーXF(2007年)
ジャガーXF(2007年)

日産キャシュカイ(2007年)

2000年代半ばまでの日産の欧州向けラインナップは、見るからに退屈なもので、販売台数にも表れていた。しかし、2007年に発売されたキャシュカイ(日本名:デュアリス)は、コンパクトクロスオーバーという新しい分野を開拓し、ショールームに行列ができるほどの人気を博した。

SUVらしいタフな外観、室内の広さ、高いドライビングポジションを備えながら、小型ハッチバック並みの走行性能とランニングコストを実現するという、実に巧みな設計である。発売されるや否や、誰も平凡なハッチバックを欲しがらなくなり、他の自動車メーカーは日産を懸命に追いかけなければならなくなったのだ。

日産キャシュカイ(2007年)
日産キャシュカイ(2007年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ。テレビゲームで自動車の運転を覚えた名古屋人。ひょんなことから脱サラし、自動車メディアで翻訳記事を書くことに。無鉄砲にも令和5年から【自動車ライター】を名乗る。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴとトマトとイクラが大好物。

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