可能性を潰したブリティッシュ・レイランド ウェッジシェイプのADO71(2) 中年が乗るクルマ?

公開 : 2025.03.09 17:46

英国の複数ブランドを一括りにした、ブリティッシュ・レイランドのADO71 直後は高く評価されたウェッジシェイプ 大臣の移動車両に選出も優れなかった品質 英編集部が失意の4台を振り返る

不要なブランドとして吸収されたウーズレー

ウーズレー2200のインテリアは、1970年代としては魅力的。ベロアで仕立てられた、走るオフィスといった印象を受ける。戦前のイメージから脱却できていなかった同社にとって、契機といえるモデルではあった。

しかし1975年9月、80年間続いたウーズレー・ブランドの歴史に終止符が打たれる。「不要なブランドとして、ライレーに吸収されました」。オーナーのアンドリュー・マクアダム氏が話す。

ウーズレー2200(1975〜1982年/英国仕様)
ウーズレー2200(1975〜1982年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

先代より人気は高かったものの、ウーズレーでの提供は6か月で終了。同時に、将来へ向けたブリティッシュ・レイランドのマーケティング戦略として、オースチンモーリスで売られるモデル名は、プリンセスへ統一された。

1978年7月にフェイスリフトされ、プリンセス2として改称。1.8LのBシリーズ・ユニットは、1.7Lと2.0LのOシリーズ・ユニットへ置換された。当時のAUTOCARは、プリンセス2 2000HLを非常に満足できるクルマだと表現している。

オイスター・ ゴールドの1台は、サイモン・ヘイズ氏が大切にする1980年式2000HL。パンフレットでは、「印象的なダブルコーチラインと、最高品質のマール生地」が強みだと主張された。ブラックのウインドウフレームは、当時の流行りでもあった。

ヘイズは、子どもの頃からプリンセスのファンだったという。COVID-19でのロックダウン中に、古いTVシリーズの「ザ・プロフェッショナルズ」を見ていて、買うことに決めたそうだ。

中年が乗るクルマというイメージが定着

2020年に、お眼鏡に適うプリンセス2を発見。「浮遊感のある走りで快適です。町中では、まるで初めて見るように、驚く人も少なくありません。2.0Lエンジンは充分な力強さで、プリンセスにピッタリですね。燃費も、そこまで悪くありません」

新車時の、プリンセス2の価格は5350ポンド。同クラスではお手頃な側にあったが、ブリティッシュ・レイランドは信頼性が悪いという評判が拭えず、中年が乗るクルマというイメージが流布し、販売は芳しくなかった。

プリンセス2 2000 HL(1978〜1981年/英国仕様)
プリンセス2 2000 HL(1978〜1981年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

未来的な見た目が売りだったウェッジシェイプだが、1977年の自動車雑誌、カーは年配向けのクルマだと表現。BBCの番組では、年配コメディアンのギャグに関連付けられ、若いドライバー向けのクルマだと受け止める人は限られた。

状況を好転させるべく、ブリティッシュ・レイランドは多額の予算を投じ、ADO71を大幅にリフレッシュ。フロントドア以外のボディパネルを刷新した、オースチン・アンバサダーが1982年3月に発売される。

注目すべきポイントは、デザイナーのハリス・マン氏が当初から想定していた、リアガラスから開くテールゲートを獲得したこと。これで、実用性が大幅に増した。

「リア周りはハッチバックに最適なカタチです。しかし(テールゲートを付けると)、オースチン・マキシのセールスポイントが失われると、却下されていたんです」。マンが、後に振り返っている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・ロバーツ

    Andrew Roberts

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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