自作マシンで狙ったロータス超え EJS-クライマックス(1) クラッシュで意気消沈

公開 : 2025.04.19 17:45

デビュー戦は8台中4位でフィニッシュ

リア側は、コイルオーバー・ダンパーによるドディオンアクスル。2本のパイプでアクスルを構成することで、大きなディファレンシャルの装備を可能とした。関心を示したAUTOCARは、1956年9月に1ページを割いて紹介している。

そのデフは、彼が設計したアルミニウム合金のケース内へ、ロジャース社製のギアが組まれたもの。ハーフシャフトはフォードのトラックから、ステアリングラックはモーリスから、それぞれ流用されている。

EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)
EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

ブレーキはガーリング社製で、リア側はデフ寄りに組まれるインボード・レイアウト。バネ下重量の軽減も、チャップマンの思想へ影響を受けたものといえる。

当時の英国では、スペシャルモデルと呼ばれる、独自のスポーツレーサーの製作が盛んだった。そんな中でスナッシャーは、EJS-クライマックスと名付けた誰よりも高度なモデルを、1人で作り上げた。一切の妥協なしに。

チャップマンの技を巧みに吸収しつつ、自らのアイデアを具現化。エンジンルームやリアアクスルを下から覆う、アルミ製のフロアパネルなど、見えない部分にもしっかり意識は配られていた。

EJS-クライマックスが完成したのは、1956年8月。ロンドンの南に存在した、クリスタルパレス・サーキットでの、ブリティッシュ・オートモビル・レーシング・クラブ(BARC)主催のスポーツカーBレースへ参戦している。

デビュー戦には8台がエントリーし、スナッシャーは4位でフィニッシュ。AUTOCARは彼の職人気質な仕事ぶりと、珍しい設計を紹介したものの、目立った戦績ではなかった。

ブランズハッチ・サーキットでクラッシュ

1956年には、ブライトン・スピードトライアルとシルバーストーン・サーキットでのレースイベントにも出場するが、上位に食い込んだわけではない様子。グッドウッド・サーキットのイベントでは、練習中に故障し本戦へは進出していない。

続くブランズハッチ・サーキットで、スナッシャーはクラッシュ。怪我は軽微なものだったようだが、高速域でのドライビングスキルに対する自信を失い、戦いの場をラリーへシフト。ラリー・モンテカルロに数回出場している。

EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)
EJS-クライマックス(1956年/ワンオフ・モデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

その後、EJS-クライマックスは分解。エンジンとトランスミッションは転売された。スナッシャーがこの世を去ったのはだいぶ昔で、その理由は定かではない。

とはいえ、彼の情熱は2025年にも確かめることができる。義理の息子による尽力で、半世紀後に再び組み立てられたからだ。エンジンは本来通り、コベントリー・クライマックスのFWAユニット。ただし、トランスミッションはMGA用の4速で代用された。

レストアが始まったのは、2001年。シャーウッド・レストレーション社によってボディの塗装が整えられ、メカニズムがリビルドされ、公道を走れる状態へ仕上げられた。

義理の息子は、2003年にEJS-クライマックスを売却。現在はオランダのギャラリー・アールダーリング社で、新たなオーナーが探されている。

この続きは、EJS-クライマックス(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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