スクラップとして消えていく希少・奇妙なクラシックカー 40選(後編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.05.11 19:25

米国の巨大ジャンクヤードを巡り、スクラップ同然のクルマにレンズを向ける探訪記シリーズ。今回は、環境面や税金面で厳しい状況に置かれながらも、なんとかこの世界に留まり続けている興味深いクラシックカーを紹介します。

キャデラック・ドゥビル – 1966年

1966年の米国の平均世帯年収は6900ドルだったが、5万人以上の消費者が、キャデラックのショールームで5339ドルのドゥビル・ハードトップを購入した。

このヤードには1966年のドゥビルが6台あり、そのうち4台は2ドアのハードトップだ。

キャデラック・ドゥビル - 1966年
キャデラック・ドゥビル – 1966年

フォード・スーパーデラックス – 1948年

一見、この1948年製のフォード・スーパーデラックスは、屋根にカヌーを載せているように見えるが、もちろんそれはボンネットで、エンジンが故障した際に取り外されたものだ。この写真に写っているドイツ車にも注目してほしい。オール・アメリカン・クラシックで、わたし達が驚きとともに発見した複数のメルセデスのうちの1台だ。

フォード・スーパーデラックス - 1948年
フォード・スーパーデラックス – 1948年

シボレー・ノヴァ – 1973年

伝統ある従来型のジャンクヤードは、環境保護の圧力により閉鎖を迫られているが、この1973年式シボレー・ノヴァ・カスタムの周りでは自然が豊かだ。動物たちも廃車を住処として好んでいる。

今回、オール・アメリカン・クラシックでは動物には出会えなかったが、長年にわたるジャンクヤード巡りの旅では、ウサギやガラガラヘビ、サソリ、スカンクなど、あらゆる動物に出くわしてきた。

シボレー・ノヴァ - 1973年
シボレー・ノヴァ – 1973年

シボレー210タウンズマン – 1956年

ベルエアから拝借したと思われる運転席のドアを除けば、これは明らかに1956年のシボレー210タウンズマン・ステーションワゴンだ。エントリーモデルの150と最上位モデルのベルエアの間に位置するミドルレンジ車で、ベストセラーとなり、8万4239台が販売された。

約20年間保管されていたことを考えると、ここまで形を保っているのは驚きだ。

シボレー210タウンズマン - 1956年
シボレー210タウンズマン – 1956年

キャデラック・エルドラド – 1972年

エルドラドの名称は50年間(1952年から2002年)、12世代にわたって受け継がれてきた。このモデルは、シリーズ75リムジンに次ぐ、キャデラックのラインナップの中で2番目に高価なクルマだった。しかし、その高価格も購入者の意欲を冷やすことはなく、1972年の販売台数は4万台を超えた。そのうち、コンバーチブルは8000台未満と、非常に珍しい。

キャデラック・エルドラド - 1972年
キャデラック・エルドラド – 1972年

キャデラック・ドゥビル – 1965年

こちらも、かつての栄光を失った高級車だ。1965年に1万9200台が製造されたキャデラック・ドゥビル・コンバーチブルである。シートの状態から判断すると、この個体はトップが取り外されてから数年経つのだろう。わたし達が訪問したときは、ヤードの前に停めてあり、プロジェクトカーとして販売されていた。

1965年、キャデラックは初めて販売台数18万台を突破した。業績は好調で、1960年代の終わりには年間20万台以上を誇っていた。

キャデラック・ドゥビル - 1965年
キャデラック・ドゥビル – 1965年

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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