XK120が真似た? ジャガーSS100「パイクロフト」(1) グッドウッド初レースで快勝

公開 : 2025.09.21 17:45

フェンダーラインが隆起した斬新フォルム

1939年にも同じラリーへ挑み、8位で完走するが、直後に第二次大戦が勃発。戦火をしのぎ終戦を迎えると、SS100のボディは一新される。「素晴らしい職人を見つけて、2シーターの理想像を形にしようと決めました」。と経緯が書き残されている。

ボディと一体化されつつ、フェンダーラインが隆起したフォルムは、当時としても目新しかった。時代を先取りする可能性を、彼は感じていたようだ。「通常は無駄になるフロントフェンダー内に、密閉した状態で荷物を積めるようにしてあります」

ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)
ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)    ジェームズ・マン(James Mann)

ボディの製作は1946年6月に始まり、1か月後に完成。満タンで800km走れるよう、ガソリンタンクは5割増しに。シート直後へ移設することで、重量バランスも改善された。

1947年8月のアイルランド島で開かれた、アルスター・トロフィーでは優勝。9月のグレートブリテン島南岸、ブライトン・スピード・トライアルでは100.5km/hの最速記録を打ち立てている。

最速ラップを刻み勝利 F3マシンへ乗り換え

翌1948年、グッドウッド・サーキットの初レースへ出場を果たす。3000cc以下のクローズドスポーツという規定で、3周の短い競争だったが、2分6秒6の最速ラップを刻み勝利を飾った。2ピースのハードトップを用意し、規定へ合致させたようだ。

1949年にはイタリア北部、トレントでのレースを戦うが、1951年にパイクロフトはSS100を売却。エメリソン社製のF3マシンへ乗り換えている。「面白いクルマでしたが、大失敗でした」。ジャガーを手放したことを、彼は後に悔いている。

ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)
ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)    ジェームズ・マン(James Mann)

SS100は数名のオーナーを経て、オランダ(ネザーランド)の元F1レーサー、ドリーズ・ファン・デル・ロフ氏が購入。1967年9月のオークションで、180ポンドで落札している。その息子、アレクサンダー氏が現在のオーナーだ。

執筆:グレアム・ハースト(Grame Hurst)

この続きは、ジャガーSS100「パイクロフト」(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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