【スターキャンプ2025 in朝霧高原】三菱らしさとはユーザーファースト!毎年キャンプイベントを続ける理由とは?

公開 : 2025.09.13 12:05

9月6~7日、三菱が開催するアウトドアイベント『スターキャンプ2025 in朝霧高原』がふもとっぱらキャンプ場で開催されました。今年も限定400組に対して2000組を超える応募があった人気イベントです。桃田健史がレポートします。

限定400組に対して2000組を超える応募

今年も『スターキャンプ』のシーズンがやってきた。三菱自動車工業(以下、三菱)が開催する三菱ユーザー向けのアウトドアイベント、『スターキャンプ2025 in朝霧高原』のことである。

開催期間は9月6~7日で、会場は富士山麓の朝霧高原にある広大な施設『ふもとっぱらキャンプ場』。参加数の限定400組に対して2000組を超える応募があったという、ユーザーにとっては狭き門の人気イベントである。

9月6~7日、三菱が開催するアウトドアイベント『スターキャンプ2025 in朝霧高原』が開催。
9月6~7日、三菱が開催するアウトドアイベント『スターキャンプ2025 in朝霧高原』が開催。    平井大介

コンテンツは豊富で『カープログラム』、『サポータープログラム』、『アクティビティプログラム』、そして『タイムプログラム』という大きく4つの分野で構成されている。

順に見ていくと、カープログラムとは試乗体験を指す。『デリカD:5』、『アウトランダーPHEV』、『デリカミニ』、『トライトン』でオフロード走行できる。また、三菱関連イベントでお馴染みの最大軽度45度の急坂登坂の同乗体験も用意され、チーム三菱ラリーアートの増岡浩総監督らがドライバーを務めた。

次いでサポータープログラムでは、ヤマハの楽器部門がカスタネット手作りワークショップやアウトランダーPHEV搭載の最新オーディオシステムの視聴を、また、発動機部門が来年発売予定となる電動モビリティの試乗を行った。

三菱グループ企業のひとつである、三菱重工からは相模原ダイナボアーズの現役選手による親子ラグビー体験会で大きな歓声が上がっていた。タックルなど人とのコンタクトをしないタグラグビーでの体験だ。

また、アフターパーツメーカー25社が出展して、三菱車に特化した最新商品を展示した。

厳しい時代にスターキャンプは9年間中断

アクティビティプログラムでは、ピザづくりやコーヒー豆の焙煎といった食に関する体験を始め、丸太切りやスポーツクライミングが楽しめた。

そして、タイムプログラムは、土曜の夜はキャンプファイヤーとスペシャルライブでゆったりと過ごし、翌朝の日曜朝はラジオ体操と朝ヨガで心と身体をリフレッシュという内容充実のプログラムである。

新型デリカミニを展示。正式デビュー前ということで、注目を浴びていた。
新型デリカミニを展示。正式デビュー前ということで、注目を浴びていた。    平井大介

以上の全プログラムとキャンプ施設の利用料を含めて、参加費用は1組1万3000円だ。

では、なぜ三菱はこうしたファンイベントに力を注いでいるか。

輸入車関連ではジープルノーなどがキャンプも交えたファンミーティングを開催しているが、日系メーカーでは本社主導型で定期的に大規模なオートキャンプイベントを実施しているのは現在、三菱だけだ。

その背景を理解するためには、スターキャンプの歴史を振り返る必要がある。

スターキャンプは今から34年前の1991年に始まり1997年まで、長野、静岡、福島、群馬など地方自治体の後援で毎年約1000組が参加していた。

当時は、クロカン(クロスカントリー)人気が根強い時代で『パジェロ』を中心としたイベントだった。だが、三菱が企業として変革が迫られる厳しい社会情勢の中で、その後9年の空白期間がある。

具体的には、一連のリコール隠しが大きな社会問題となり、三菱ブランドがイメージダウンした時期である。

記事に関わった人々

  • 執筆

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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