60周年を迎えたランボルギーニ・ミウラ『公式』ヒストリー(1) 全文掲載することの歴史的意義

公開 : 2026.03.23 17:25

3月12日、『アウトモビリ・ランボルギーニ、ランボルギーニ・ミウラ誕生60周年の記念すべき節目を祝う』と題したプレスリリースが発行されました。ここでは歴史的資料として、一部編集を加え全文掲載します。その5本中1本目です。

序文:担当編集が見い出した歴史的意義

3月10日、アウトモビリ・ランボルギーニは『Lamborghini Miura The first Supercar in history』と題したプレスリリースを発行しました。その2日後にはランボルギーニ・ジャパンから日本語訳が発行されています。

日本版のタイトルは、『アウトモビリ・ランボルギーニ、ランボルギーニ・ミウラ誕生60周年の記念すべき節目を祝う』とされ、サブタイトルに『ランボルギーニ・ミウラ―史上初のスーパーカー』と付けられていました。

2026年、デビューから60周年を迎えたランボルギーニ・ミウラ。
2026年、デビューから60周年を迎えたランボルギーニ・ミウラ。    アウトモビリ・ランボルギーニ

プレスリリースの内容はタイトルどおり、今年で60周年を迎えたミウラの歴史を紹介するものです。リリースを発行した3月10日は、ちょうど60年前にジュネーブ・モーターショーでミウラを初公開した日でもあります。

担当編集がランボルギーニの取材を本格的に始めた2000年代前半、彼らの歴史的アーカイブは決して豊富と言えない状況でした。そのため謎の部分が多く、研究家やジャーナリスト、編集部で歴史的考証が進みました。

特にカウンタックやイオタはそのミステリアスさが熱狂的対象となり、私も多くの記事やムックの製作を編集者として担当しました。しかし、レストアなどを担当する『ランボルギーニ・ポロストリコ』が2015年に設立されてきてからは自社による分析が進み、最近は貴重な写真と共に、こうした公式ヒストリーも公開されるようになりました。

そこで今回は、この『ランボルギーニ・ミウラ公式ヒストリー』を、全文掲載することにいたしました。当サイトへの掲載にあたり一部表記こそ変更していますが、内容は変更していません。

それは『公式版』をそのままネット上に残すことが、意義のあることだと考えるからです。なお全部で8000文字以上あるため、5回に分けて掲載することにしました。

では2026年における、最新の『ミウラ・ヒストリー』をじっくりとご覧ください。

スーパーカーの概念を形づくった数々の軌跡を辿る

アウトモビリ・ランボルギーニは、2026年に誕生60周年を迎えるランボルギーニ・ミウラの起源と進化、そしてスーパーカーの概念を形づくった数々の軌跡を辿ることで、その記念すべき節目を祝います。

1966年3月10日のジュネーブ・モーターショーにおいて、ランボルギーニがミウラを発表したことは、新型モデルの発売に留まらない大きな功績を残し、高性能なロードカーの持つポテンシャルを再定義しました。

ランボルギーニ・ミウラP400S
ランボルギーニ・ミウラP400S    アウトモビリ・ランボルギーニ

ミウラはモータースポーツのデザインに着想を得たレイアウトを採用し、運転席の後方にV12エンジンを横置きに搭載しました。これは、GT(グランツーリスモ)の伝統を打ち破る革新的な構造であり、ミウラは、当時としては現実離れした性能を誇っていました。

伝説的なデザイン会社であるベルトーネが手掛けたこの車両のスタイリングは、瞬く間にアイコニックなものとなり、今日に至るまでその象徴性は失われていません。ミウラは単なる新型モデルではなく、当時まだ新興企業であったランボルギーニの志を示すモデルでした。

記事に関わった人々

  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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