ハイテク満載のスタイリッシュな3代目日産『プリメーラ』 欧州高級車への挑戦と失敗を振り返る【UK編集部コラム】

公開 : 2026.04.10 17:05

3代目となる日産『プリメーラ』は2001年に登場し、ファミリーカーでありながら斬新なデザインと充実した標準装備を武器に、欧州の強豪ブランドへと戦いを挑みました。しかし、時代を味方につけることはできませんでした。

苦戦を強いられた3代目

日産の最終世代の『プリメーラ』は、方向性を失いつつあった同社の象徴とも言える1台だ。ルノーによる救済と、新社長カルロス・ゴーンによる再建計画の始動後に登場したものの、その基本設計は倒産の危機から回復する以前に形作られたものだった。

最後のプリメーラは、欧州市場の好みに合わせて設計された初代モデルから数えて3代目にあたる。しかし、2001年に発売された頃には、厄介な欧州の消費者たちの関心は主にドイツ車へと向けられていた。

日産プリメーラ(3代目)
日産プリメーラ(3代目)

この時代は「プレミアムへの逃避」とも呼ばれ、消費者はBMWメルセデス・ベンツアウディに熱を上げていた。(おおむね)造りが良く、格調が高く、そして皮肉なことに、リセールバリューが下がりにくかったためリース料金も安かったのだ。

こうした状況から、量販車(大衆車)メーカーは自社の販売を伸ばすために、より一層の努力を強いられた。プリメーラが属していた、いわゆる欧州の「Dセグメント」車のほとんどは、主にフリート(社用車など)向け販売だった。

当時のフリートユーザー(企業の従業員)たちは、好むと好まざるとにかかわらずフォード・コルティナを支給されていた時代とは比べ物にならないほど、はるかに多くの選択肢を与えられていたのだ。彼らにとって、プリメーラはキドニーグリルを備えた競合車に比べ、ますます見劣りするようになってしまった。

斬新だったスタイリング

1990年発売の初代プリメーラは、洗練されたスタイルと驚くほど優れたシャシーにより、欧州でも一定の成功を収めた。少なくとも、前身であるブルーバードよりは確実に優秀だった。スタイリングには、ホフマイスターキンクやエンブレムを挟むツイングリルなど、BMWの影響が見られる。

2代目プリメーラにおいても、BMWのように、漸進的なデザイン方針が踏襲された。初代P10型プリメーラのヨーロピアンスタイルは、1996年に登場した2代目のP11型でさらに洗練された。1999年のマイナーチェンジでは「フライングウィング」と呼ばれるツイングリルが導入されたが、これもBMWを彷彿とさせるものだった。P10と同様、P11もハンドリングは良好で、そのコーナリング性能は1998年と1999年の英国ツーリングカー選手権(BTCC)での優勝によって裏付けられている。

日産プリメーラ(3代目)
日産プリメーラ(3代目)

しかし、サーキットでの活躍だけでは、BMWの購入を検討している層を惹きつけるには不十分だった。そこで、3代目となるP12型プリメーラにおいて、日産はBMW風のデザイン戦略から脱却し、大きく舵を切った。

デザインを率いたのはステファン・シュワルツ氏で、自らプリメーラのテレビCMにも出演している。彼の狙いは、室内空間と実用性を損なうことなく、クーペのシルエットを取り入れたファミリーカーを作ることだった。

以前のプリメーラはセダン、ハッチバック、ステーションワゴンのボディタイプが用意されていたが、英国市場の3代目はハッチバックかステーションワゴンのみとなった。大きなテールゲートを開ければ、組み立て式家具を楽に積み込めるほどの広々としたトランクが現れる。車内は後部座席の乗客がゆったりと腰を下ろし、宇宙船のようなダッシュボードの造形に感嘆できるほど広い。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ブレンナー

    Richard Bremner

    英国編集部
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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